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【毎日更新】没落姫と厄災の番犬―すべてを失った夜、檻の底で恐ろしい手をとった―  作者: kamoojun
第2章 鉱山街の死闘と、天才学者

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第13話 最適解の破壊と、壁を破る来訪者

 ルカの言った通り、谷底にある『鉱山街』の麓の警備は、拍子抜けするほどザルだった。私たちはマントを深く被り、夜の闇に紛れて難なく街に潜入した。

 しかし——。


「……ひどい」


 裏道から見た労働者区画の光景に、私は思わず息を呑んだ。

 道ゆく人々は皆、泥のように疲れ果て、頬がこけている。家々の窓には明かりすらなく、寒さと飢えに震えるすすり泣きが、あちこちから聞こえてきた。


『最適解。息を潜めて通り過ぎる』


 ルカの言葉が頭をよぎる。見つからずにこの街を抜けるのは簡単だ。でも、私の足は鉛のように重かった。



「お願いだ、それだけは! その麦は、妹がひと冬越すための……っ!」


 突如、すぐ先の広場から男の悲痛な叫び声が上がった。


「うるせぇ! 宰相様からの通達だ、新体制の祝いとして税を倍にするとな! 税が払えねぇなら、地べたの泥でも啜ってろ!」


 見ると、丸々と太った数人の兵士たちが、泥だらけの炭鉱夫の青年から麻袋をひったくっているところだった。

 ドカッ! と鈍い音が響き、屈強なはずの青年が為す術もなく蹴り飛ばされ、石畳に転がる。


「お兄ちゃんっ!」


 青年のそばで、ボロボロの服を着た小さな女の子が泣き叫んだ。兵士は容赦なく、泣きすがる女の子ごと青年を打ち据えようと、太い革の鞭を高く振り上げる。


「やめなさいっ!!」


 私が叫ぶより早く、マントを翻して銀色の影が飛び出していた。

 ——バシィッ!


「……あン?」


 兵士が間抜けな声を上げる。振り下ろされたはずの鞭は、リルの太い腕にガッチリと掴まれ、完全に止められていた。


「か弱ぇガキと、泥まみれで働いてる男を痛めつけるのが、てめぇら兵士の仕事かよ」


 リルが黄金の瞳で睨みつけ、軽く腕を引いただけで、丸々と太った兵士は悲鳴を上げて派手に宙を舞い、気絶した。


「あ、あんたたち……」


 尻餅をついた青年が、呆然と私たちを見上げる。私は急いで駆け寄り、震える女の子を抱きしめた。怪我がなくてよかった。


「ごめんなさい。怖かったわよね。もう大丈夫よ」

「お姉ちゃん、だれ……?」

「……通りすがりの、ただの旅人よ」


 私は女の子の頭を優しく撫でて立ち上がると、兵士たちが落としていった麻袋を青年に手渡した。


「あんた、怪我するぞ! あいつらは領主の兵士で……!」

「ええ、知っているわ。……だから、許せないの」


 王国軍の端くれであるはずの兵士が、民を虐げ、私腹を肥やしている。お父様が愛したこの国で、こんな理不尽なことが起きているなんて。胸の奥で、かつてないほどの怒りが沸点に達するのを感じた。


「……リル」

「あ?」

「ルカは、息を潜めて通り過ぎるのが最適解だと言ったわ」

「そうだな」

「でも……最適解じゃなくて、ごめんなさい」


 私がマントのフードを脱ぎ、両手をギュッと握り締めると、リルは私の顔を覗き込み——ニヤリと、凶悪な牙を剥き出しにして笑った。


「謝るな。お前がそんな辛気臭ぇ顔をして黙って通り過ぎる方が、俺は腹が立つ」

「……リル。あの丘の上の館、ぶっ飛ばすわよ」

「おう。任せとけ、アニエス!」


 私は村娘の服の袖をまくり上げ、リルと共に、一番目立たない裏道に背を向けて、丘の上の館へと向かって力強く駆け出した。




 領主の館は、麓の凍えるような暗闇とは別世界だった。リルの野性の嗅覚を頼りに、警備兵の巡回をすり抜けて中庭に潜入した私たちの鼻を、むせ返るような香水と、豪勢な肉の焼ける匂いが撫でた。


「……信じられない」


 中庭からガラス越しに見下ろした大広間。そこには、目を疑うような光景が広がっていた。シャンデリアが煌々と輝く中、丸々と太った領主が、豪奢なソファに寝そべってワインを煽っている。その足元では、麓の村から奪ってきたばかりの『冬越しの麦』の袋が無造作に引き裂かれ、床に散乱していた。


「領主様、よろしいのですか? あの麦は労働者たちの……」

「構わん構わん! あんな下民の食う臭い麦など、豚の餌にでもしてしまえ!」


 領主はゲラゲラと下劣な笑い声を上げ、高級な肉の塊を自分の飼い犬に放り投げた。


「宰相様が実権を握られた今、我々はもっと税を絞り上げ、宰相様への献上金を増やさねばならんのだ。麦がなくて下民が飢え死にしたら? ハッ、隣の街から新しい奴隷を買ってくれば済む話だろうが!」


 その言葉に、周りにいた取り巻きの兵士たちも下品な笑い声を上げる。


(……ッ!)


 ギリッ、と自分の奥歯が鳴る音がした。王宮で温室育ちだった私ですら分かる。あれは、上に立つ者の姿じゃない。ただの、強欲な化け物だ。


「おい、アニエス。今すぐあの窓をぶち破って、あの豚の首を噛みちぎってやろうか?」


 私の怒りを感じ取ったのか、リルが低く唸り声を上げ、ガラスに爪を立てる。けれど、私はリルの腕を掴んで首を横に振った。


「……ダメよ。今あそこで暴れても、奪われた麦は床に散らばってダメになるし、私たちがお尋ね者だとバレたら、後で麓の人たちがどんな報復を受けるか分からないわ」


「じゃあ、どうすんだよ」

「アイツの『一番大事なもの』から奪い返すの。……宰相に献上するための金貨や、巻き上げた物資を溜め込んでいる場所があるはずよ」


 私は怒りで震える手をギュッと握りしめ、館の構造に目を巡らせた。


「こういう館の金庫は、大抵一番頑丈な『地下』にあるわ。リル、地下へ繋がる水路か何か、匂いで分からない?」

「あ? ……ああ、こっちの排水溝から、カビ臭い地下の匂いがするな」


 リルが指差した先。私たちは領主に気づかれないよう、音もなく地下水路へと続く鉄格子を外し、暗闇の中へと潜っていった。




 ちょうどそのころ、丘の上の領主の館、その最深部にある『地下金庫室』にて。


「……フン。宰相の犬である豚領主め、僕の研究資金を没収してこんな所に隠し込んでいたとはね」


 ルカは暗闇の中、分厚い鋼鉄の扉の前にしゃがみ込み、自作のピッキング用魔導ツールを鍵穴に差し込んでいた。額には冷や汗が浮かんでいる。この扉のロック機構は複雑で、少しでも魔力配線を間違えれば、館中に警報が鳴り響く仕組みだ。


「だが、天才であるこの僕にかかれば……よし、魔力回路のバイパス成功。あとはこの歯車を……」


 カチャッ。 微かな音と共に、重厚なロックが解除された。


「ふははっ! 開いた! これで僕の研究も再開できる! さあ、愛しの資金と素材たちよ、僕の胸に——」

 ルカが歓喜の笑みを浮かべ、扉のノブに手を掛けた、その瞬間だった。



 ——ドゴォォォォンッ!!!


「……はぇ?」


 扉ではなく、金庫室の『分厚い石壁』が、凄まじい轟音と共に内側へと吹き飛んだのだ。パラパラと崩れ落ちる瓦礫。もうもうと舞い上がる土煙。 警報の魔導具がけたたましく鳴り響く中、ルカは腰を抜かして床にへたり込んだ。


「ゲホッ、ゴホッ! な、なんだ!? 砲撃!? いや、ここは地下だぞ!?」


 ルカが混乱の極致で目を白黒させていると、土煙の中から、巨大な黒い影が悠然と姿を現した。 銀色の髪。爛々と輝く黄金の瞳。そしてその大男の腕の中には、お姫様抱っこをされた少女が——。


「よしっ! リル、すごいわ! まさか地下水路の壁をぶち抜いて金庫室に直行できるなんて!」


「あ? 人間の腕だとちょっと骨が軋んだがな。さて、大広間にあったのはほんの一部だ。あの豚が溜め込んだ金貨と、残りの麦はどこに隠してある?」


 和気藹々と会話しながら現れた二人に、ルカの頭は完全にショートした。


「え……?」

「あ! あなたは、森で会った天才学者の……ルカ!? 奇遇ね!」


 私に気づき、パァッと花が咲くように明るい笑顔を向ける。ルカは震える指で二人を指差し、館中に鳴り響く警報に負けない大声で叫んだ。


「き、奇遇じゃない!! なんでお前たちが、一番危険な領主の館の、しかも地下金庫室の壁を物理でぶち破って登場するんだ! お前ら、本当にバカなのか!?」


 ルカの悲痛な叫びは、金庫室に虚しく響いていた――。


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