第六話 心音の始まり
お待たせしました~!!
少し短めですが、第六話をお届けします!
絶体絶命の危機に陥った湊。
果たして、ここからどのような運命が待ち受けているのか――。
どうぞお楽しみください!
「僕の心臓を……あげる」
「……っ」
あまりの眩しさに目を閉じようとするが、まぶたを動かす力さえ残っていない。
白く染まった視界の中央で、エメットが自らの胸へ右手を沈めていくのが見えた。
比喩ではない。
透き通るように白い指先が、水面へ触れるように、何の抵抗もなく胸の中へ入っていく。
血は一滴も流れない。
傷口すら生まれず、指が沈んだ場所から、淡い光の波紋だけが静かに広がっていた。
(何を……してるんだ……)
声に出して問いかけようとする。
しかし、潰れた喉から漏れたのは、ひゅうひゅうと空気が抜ける情けない音だけだった。
やがて、エメットはゆっくりと右手を引き抜いた。
その小さな手のひらに載っていたのは、白銀の光を凝縮したような球体だった。
両手に収まるほどの大きさ。
その内部では、無数の細い光が複雑に絡み合い、絶えず巡り続けている。
ドクン。
白銀の球体が脈打った。
それに合わせ、内部を巡る光が一斉に輝きを増す。
ドクン。
もう一度。
まるで本物の心臓のように、一定のリズムで力強く鼓動していた。
エメットは、その光を両手で大切そうに包み込むと、俺のそばへ膝をついた。
「……っ」
小さな手が、俺の胸元へ伸びてくる。
泥と血にまみれ、何本もの肋骨が折れている胸へ、白銀の光がそっと押し当てられた。
触れた瞬間――。
ドクンッ!
「――ッ!」
胸の奥で、何かが爆発した。
全身が地面から跳ね上がった。
焼けた鉄を血管の中へ直接流し込まれたような熱が、胸から手足の先まで一気に駆け巡った。
「あ……がっ……!」
声にならない絶叫が、喉の奥から漏れた。
光は俺の破れたジャージをすり抜け、胸の中へゆっくりと沈み込んでくる。
ドクンッ!
再び、重い鼓動が胸の奥で鳴り響く。
その瞬間、光が全身を駆け巡った。
折れた骨。
裂けた筋肉。
傷ついた内臓。
体中の痛みが一斉に燃え上がり、視界が白く明滅する。
「ああああああああっ!」
まともな声など出せないはずだった喉から、裂けるような絶叫が迸った。
痛い。
熱い。
体の内側から、すべてを作り替えられているようだった。
光は血管を巡り、骨へ染み込み、全身の隅々まで行き渡っていく。
ドクンッ!
鼓動が鳴る。
俺自身の心臓とは違う。
もっと重く。
もっと深く。
ダンジョン全体を揺らす太鼓のような心音が、胸の奥から響き渡った。
◇ ◇ ◇
真っ白に焼き切れていた意識が、深い水の底から浮かび上がるように、少しずつ輪郭を取り戻していく。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
喉の奥から、錆びた鉄のような血の味がする。
息を激しく吸うたびに、胸に鋭い痛みが走り、どれだけ空気を吸い込んでも、肺が満たされる感覚はまるでない。
体は何重もの鎖を巻き付けられたように重く、思い通りに動かない。
膝はガクガクと震え、何とか立ち続ける俺を嘲笑っているようだ。
「はぁ……っ、こ、ここ……何が……どうなって……」
何も思い出せない。
頭の中が濃い霧に覆われているようで、思考がうまくまとまらない。
「くっ……!」
状況を確かめようと、一歩踏み出す。
だが、その瞬間、全身を激痛が駆け抜けた。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
改めて視線を下ろし、自分を見る。
右手には、かろうじて剣の名残だと分かる鉄くずが握られていた。
震える腕がわずかに動くたび、折れた刃先が石床を擦り、耳障りな金属音が静かな通路の奥へ長く響いていった。
そして、ジャージだったものは、もはや服としての原形を留めていなかった。
あちこちが無惨に切り裂かれ、裂けた布の隙間から覗く皮膚は赤黒く腫れ上がっている。
傷口から滲み出した血が周囲の布地をどす黒く染め、紺色だったはずの生地は見る影もない。
……ひどい有様だ。
「……?」
ゆっくりと顔を上げると、足元に転がっているものが目に入る。
人の腕。
一瞬、そう見えた。
肘の辺りで無惨に折れた、白い腕。
だが、そこに血は流れていない。
断面から覗いているのも、肉や骨ではなく硬質な木材だった。
少し離れた場所には、のっぺりとした頭部が、こちらに向いて落ちていた。
その向こうにも、腕、脚、真っ二つに割れた胴体が、通路を埋め尽くすほど無秩序に散乱している。
これは人間のものではない。
床を覆い尽くしているのは、すべて人形。
正確には、人形の姿をした魔物――パペットたちの残骸だった。
「これ全部、俺が……倒したのか?」
まったく思い出せない。
俺がいつ、どうやって戦ったのか。
肝心な部分の記憶が、すっぽりと抜け落ちている。
ただ、周囲で動くものは、俺以外何一つなかった。
「……一体、何があった?」
ぼやけていた視界が、少しずつ焦点を取り戻していく。
俺は改めて周囲を見渡した。
そして、思わず息を呑んだ。
ただパペットたちが倒されているだけではなかった。
俺を中心とした通路一帯が、まるで巨大な爆弾でも炸裂したかのように陥没していた。
地面は無数の亀裂に覆われ、壁の一部まで大きく抉れている。
そして第二階層へ続く階段の付近には、ナイトパペットたちの残骸まで転がっていた。
紙くずのようにひしゃげた兜。
根元からへし折られた剣。
真っ二つに両断された、分厚い木製の胴体。
圧倒的な力で、一方的に破壊されたとしか思えない。
その惨状の中心にいるのは、俺だった。
手の中に残された剣には、木片が無数にこびりついている。
俺がやった。
そう考えるのが自然なのかもしれない。
けれど、信じられなかった。
俺が、これだけの魔物を倒せるはずがない。
ましてや、ナイトパペットまで。
「……エメット?」
ハッとして、周囲を見回した。
そうだ。
エメットだ。
最後に見た、白銀の少年を姿を探す。
「エメット……どこだ?」
返事はない。
その姿は、残骸の転がる通路のどこにも見当たらなかった。
代わりに、胸の奥深く。
折れた肋骨の、さらに奥。
ドクン。
自分のものとは思えないほどの重い心音が、胸の奥から響いていた。
その異質な鼓動を意識した瞬間、張り詰めていた緊張の糸が音を立てて切れた。
「あ……」
限界だった。
両脚から一気に力が抜け、その場へ崩れ落ちるように膝をつく。
ガランッ。
手から抜け落ちた折れた剣が、冷たい地面を叩き、虚しい音を響かせた。
もう指先一つ動かせない。
視界の端から、急速に黒い闇が迫ってくる。
体がゆっくりと横へ傾き、冷たい地面へ頬が触れた。
そのときだった。
「この奥から音がしたぞ!」
「湊かもしれねえ! 急げ!」
通路の奥から、複数の足音と人間の叫び声が聞こえてきた。
空耳ではない。
硬い靴底が石床を叩く音が、次第に大きくなっていく。
やがて、ダンジョンの暗闇を切り裂くような強烈なランタンの光が、通路の壁へ揺れる影を落としながら近づいてきた。
数人の武装した探検者が、曲がり角の向こうから飛び出してくる。
その先頭に、見慣れた巨体があった。
「湊っ!」
使い込まれた漆黒の革鎧。
背中に背負っているのは、本人の身長に迫るほどの大剣。
血相を変え、悲痛な表情を浮かべながら一直線に駆けてくる、京極さんだった。
京極さんは周囲に散乱するナイトパペットの残骸すら目に入っていない様子で、俺のそばへ滑り込むように膝をついた。
震える大きな手が、血まみれになった俺の肩を抱き起こした。
「湊! おい、しっかりしろ! 湊っ!」
「……きょう、ごく……さん……」
ひゅう、と掠れた息とともに、声が漏れた。
怒鳴る京極さんの顔が、ひどく滲んで見えた。
助かった。
そのことを理解した瞬間、体の力が完全に抜けた。
エメットを捜さなければならない。
何が起きたのかも、説明しなければならない。
伝えたいことは、いくらでもあった。
けれど、もう何も考えられなかった。
京極さんの腕が、温かい。
その温もりへ身を委ねながら、俺は心の中で小さく謝った。
――ごめんなさい。少しだけ、眠らせてください。
そして今度こそ、俺は抗うことなく意識を手放した。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
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次回の投稿は、
8月2日(日)20時20分を予定しています!
また、前回の投稿後に、第一話から第五話までを、より読みやすく楽しんでいただけるよう大幅に修正しました!
ストーリー自体に大きな変更はありませんので、読み直さなくても第六話からそのままお楽しみいただけます!
これからさらに楽しんでいただける物語にできるよう頑張りますので、引き続きよろしくお願いします!




