第五話 僕の心臓をあげる
副題を追加しました!
『その心音に人形は踊る』
~最弱探検者だった俺は、ゴーレムたちと最強を目指す~
物語の雰囲気はそのままに、どのようなお話なのか伝わりやすい副題にしました!
新しくなったタイトルとともに、これからもよろしくお願いします!
「こんな状況、どうすれば良いんだよ!」
喉の奥から絞り出した声が、冷え切った石造りの通路へ響き渡った。
背後から迫るのは、通路を埋め尽くすほどのウッドパペットの大群。
正面ではナイトパペットたちが、抜き身の剣を手に階段を上がってきている。
後ろへは戻れない。
前へ進むこともできない。
逃げ道は、完全に塞がれている。
戦って勝てる可能性など、万に一つもない。
その現実を突きつけられた瞬間、全身から力が抜け、膝から崩れ落ちそうになった。
もう無理だ。
こんな状況から助かるわけがない。
頭の中で、そんな弱音が次々と湧き上がってくる。
けれど、ここにはエメットがいるんだ。
彼は相変わらず声一つ上げず、身じろぎもしない。
俺一人なら、諦めてしまっていたかもしれない。
だが、今は違う。
少なくとも、この少年を抱えたまま、何もせずに死を待つわけにはいかなかった。
それに、ダンジョンの外だって、この異常事態に気づいているはずだ。
第一階層の魔物が軍隊のように統率され、あげく、第五階層の魔物まで上がってきている。
先ほどの大地震もある。
探検者協会が、何の異変も察知していないとは考えにくい。
そして、京極さんなら。
ダンジョンで異常が発生し、その中に俺が取り残されている可能性があると分かれば、帰還予定時刻など待たずに動いてくれる。
捜索隊でも、救助隊でも。
必要とあらば、自分がダンジョンに突入してでも助けに来てくれるはずだ。
情けない話ではあるが、今はそんなことを言っている場合ではない。
あの人は顔こそ怖いが、誰よりも探検者の命を大切にしている人だということを、俺は知っている。
ならば、俺がやるべきことは一つしかない。
助けが来るまで。
一秒でも長く、生き延びる。
「そうだ……それだけでいい」
自分へ言い聞かせるように呟いた。
どれだけ耐えられるかなんて、考えるな。
今はただ、目の前に集中しろ。
残った力のすべてを、生き残るためだけに使うんだ。
肩に担いだエメットを落とさないよう、腕でその腰を強く抱え直した。
それから、周囲の地形と迫ってくるパペットへ、素早く視線を走らせる。
正面から斬り込むのは論外だ。
上位種まで混ざった大群へ突っ込めば、一秒と経たずに細切れの肉塊へ変えられる。
だからといって、この場に立ち尽くしていれば、前後から押し潰されるだけだ。
身を隠せる場所も、逃げ込める脇道もない。
なら、せめてエメットを壁際へ置き、俺が盾になる。
あとは、助けが来るまで守りに徹するしかない。
狙うなら、ナイトパペットではなくウッドパペットだ。
大振りで動きの遅い拳なら、どうにか受け流せるかもしれない。
完全には防げなくても、ひどい打撲程度で済むはずだ。
少なくとも、ナイトパペットの剣で斬り刻まれるよりは、まだましだった。
「やれる……」
生き残れる保証など、どこにもない。
それでも、何もせずに死を待つよりはいい。
考えを決めた俺は、エメットを担いだまま近くの壁際へ移動した。
彼をそっと石床へ下ろし、その小さな体を背に庇うように立つ。
両手で剣の柄を握り直す。
エメットを肩に乗せていたせいで、肩の感覚がない。
疲労しきった腕の筋肉が、もう限界だと悲鳴を上げていた。
それでも、柄を手放すつもりはない。
パペット達が木製の関節を鳴らしながら、一歩、また一歩と近づいて来る。
大きく息を吸い込む。
足を肩幅に開き、石床を強く踏み締めた。
恐怖でガクガクと震える膝を、無理やり黙らせる。
「さあ、来い……っ!」
喉が震える。
それでも俺は、剣をパペット達へ向けた。
「人形ども!」
自分でも驚くほど、威勢のいい声が出た。
死に際のやけくそというやつかもしれない。
それでも俺は、迫りくる絶望の群れを睨み返した。
◇ ◇ ◇
「ぐふっ……」
喉の奥から、潰れた息と一緒にどす黒い血がこぼれた。
生温かい血が口元から顎を伝い、冷たい石床へ落ちていく。
体を起こしたいが、腕にはまったく力が入らない。
というかまったく体を動かすことができなかった。
右肩はおかしな方向へ沈み込んでいる。
両脚は膝から下の感覚がほとんど消えている。
浅く息を吸うたびに胸の奥が軋み、折れた肋骨が内側から肉を引っかいているような鋭い痛みが走った。
全身には、数え切れないほどの切り傷と打撲。
ジャージは泥と埃、それに自分の血で汚れ、もはや服としての原形を留めていなかった。
……うん。分かったいた。
あの絶望的な状況で剣を構え、
『さあ来い、人形ども!』
と叫びながら自分を奮い立たせて、恐怖をごまかそうとした。
頭の片隅には、もしかすると火事場の馬鹿力で、意外と何とかなってしまうのではないかという淡い期待があった。
死の淵へ追い込まれたことで、眠っていた才能が目を覚ます。
未知の能力が突然覚醒し、押し寄せる魔物の群れを次々となぎ倒す。
ほんの一瞬だけ、物語の主人公にでもなったつもりで、そんな都合のいい奇跡を期待してしまったのだ。
でもさすがに無理だった。
現実は残酷なまでに通常運転だった。
隠された才能などなかった。
未知の能力も目覚めなかった。
無理なものは、どう足掻いても無理だった。
あれだけの数と戦力差を前に、一体俺にどうしろというのか。
笑える。
自分を嘲笑おうにも、口角を少し動かしただけで顔面の傷へ激痛が走った。
分かっていた。
最初から、分かっていたことだ。
俺の実力では、あの数を相手に一分も持たない。
それでも、少しくらいは時間を稼ぐつもりでいた。
ウッドパペットの動きは遅い。
ナイトパペットも、ウッドパペットに阻まれて近づいて来れないはず。
そんな浅はかな計算は、接敵して最初の数秒で粉々に砕かれた。
最初の数回の攻撃は防げた。
受け流すこともできた。
でも一八○度から迫ってくる攻撃を全部防ぐことができなかった。
というか防げた攻撃の数よりも殴られた回数の方が多い。
そして俺は、津波のように押し寄せる人形の群れへ、完全に飲み込まれた。
木製の拳が、無防備な脇腹へ叩き込まれる。
体の内側で、何かが折れる嫌な音がした。
息を吐き出したところへ、別の個体の腕が顔面を掠める。
視界が大きく揺れ、口の中に鉄の味が広がった。
どこを向いても、のっぺりとした顔。
顔。
顔。
剣を振り回しても、一体へ刃が届く前に、別の個体が前へ出てくる。
何度斬りつけても。
何度押し返そうとしても。
倒すことができず、どんどん波が押し寄せてくる。
やがて、剣を振り上げることすらできなくなった。
そして最後は、あっけないものだった。
ウッドパペットの群れの隙間から、ナイトパペットが音もなく踏み込んでくる。
青白い光を反射した刃が一閃し、俺の脇腹を深く切り裂いた。
「がっ……!」
痛みに顔を歪め、反射的に後方へ下がろうとする。
だが、後ろに下がれる場所などない。
二体目のナイトパペットが横から剣を突き出し、その刃が右肩を深く貫いた。
そこから先は、痛みが強すぎてほとんど覚えていない。
気づいたときには、俺は石床へ倒れ伏していた。
周囲には今も、無数のパペットたちが群がっている。
不思議なことに、とどめを刺されていない。
いや。
これだけの血を流し、まともに動くことさえできない。
パペットたちからすれば、放っておいても死ぬと判断されたのかもしれない。
実際、今こうして意識が残っていること自体、奇跡のようなものだった。
「……エメッ、ト……」
血の泡とともに吐き出した掠れた声は、自分の耳にさえほとんど届かなかった。
彼は無事だろうか。
逃げられただろうか。
いや。
あの子は、自分からほとんど動こうとしなかった。
今も立ち尽くしているのだとしたら。
「くそ……っ」
力の入らない指で、冷たい石床を掻く。
剥がれかけた爪の隙間から血が滲んだが、そんな痛みはどうでもよかった。
俺が、もう少し強ければ。
せめて、他の探検者と同じように強くなることができたなら。
エメットを抱えたまま、パペットの群れを振り切れたかもしれない。
何日も。
何週間も。
毎日のように第五エリアへ通い続けた。
探検者を諦めろと笑われながらも、泥にまみれてウッドパペットと戦い、少しずつ戦い方を覚えてきたつもりだった。
それでも俺の体は、何一つ変わらなかった。
あれだけ諦めたくないと意地を張って。
才能がないなら、ないなりにやればいいと自分へ言い聞かせて。
底辺探検者なりの生存戦略だと、必死に足掻いてきた。
それなのに結局。
本当に誰かを守らなければならない場面では、何一つできなかった。
誰一人守れず。
最弱のまま。
ここで死ぬ。
あまりにも情けなく、滑稽な結末だった。
京極さんは、きっと怒るだろう。
受付で、絶対に生きて帰ってこいと言われた。
それなのに俺は、その約束を守れなかった。
あの仏頂面をさらに歪めて怒鳴り、カウンターを壊れそうなほど叩くのだろう。
誰にも見られない場所で、一人で泣かせてしまうのかもしれない。
東雲さんにも、ひどく心配をかける。
俺を捜しに来る探検者たちにも、無駄な危険を背負わせてしまう。
「……申し訳、ないな……」
誰へ向けたのかも分からない謝罪が、血と一緒に口からこぼれ落ちた。
視界の端から、インクを落としたように暗闇が広がっていく。
音も遠い。
あれほど耳障りだった木製関節の軋みさえ、今は深い水の底から聞こえてくるように、ぼやけていた。
もうすぐ、意識が途切れる。
おそらく、その次に目を開けることはない。
そう思ったときだった。
パペットたちがひしめく脚の隙間。
霞んだ視界の端へ、ふわりと『白い何か』が映り込んだ。
最初は、砕けたウッドパペットの木片かと思った。
けれど、それはゆっくりと。
迷いのない足取りで、こちらへ近づいてくる。
白銀の髪。
透けるように白い肌。
そして、暗い迷宮の中で淡く光っているように見える、白銀のローブ。
「エメット……?」
間違いない。
パペットの群れの中を静かに歩いてきたのは、エメットだった。
傷一つない。
白銀のローブは少しも破れておらず、白い肌にも血や汚れは付着していない。
これだけの魔物に囲まれ、無数の拳と剣が飛び交う中で、どうして無傷でいられるのか。
どうして、周囲のパペットたちは、彼を襲おうとしないのか。
普通なら、すぐに異常に気づいたかもしれない。
だが、すでに消えかけている俺の意識には、その矛盾について考える余裕など残されていなかった。
ただ、嬉しかった。
エメットが生きている。
無事だった。
それだけで十分だった。
俺の無謀な足掻きが、すべて無駄ではなかったのだと思えた。
たとえ俺がここで死んだとしても、一人の子供を魔物から守ることができた。
才能のない落ちこぼれでも。
最後の最後に、誰かの役に立てた。
その事実だけで、冷え切っていく胸の奥に、わずかな温かさが灯った。
「エメット……ぐふっ……無事で、よかっ……た……」
言葉の途中で血がこみ上げ、激しく咳き込む。
エメットは血だまりの中へ倒れている俺のそばまで来ると、音もなく足を止めた。
通路で出会ったときと、何も変わらない姿だった。
氷のように無機質な白銀の瞳には、怒りも、悲しみも、何の感情も浮かんでいない。
ただ、死にかけている俺を、じっと見下ろしている。
けれど、その眼差しは。
最初に会ったときよりも、ほんの少しだけ柔らかく見えた気がした。
やがて、エメットの小さな唇がゆっくりと開く。
「チョコ……」
「……?」
「おいしかった」
途切れ途切れではあるが、先ほどよりもはっきりとした声だった。
「ありがとう」
エメットは、自らの胸元へ白い手を添えた。
その瞬間。
白銀のローブの奥から、淡い光が漏れ始める。
ドクン。
光が脈打つ。
ドクン。
まるで本当に、そこに心臓が存在しているかのように。
一定のリズムで、光が強く明滅する。
一度。
二度。
光が脈打つたび、周囲を埋め尽くしていたパペットたちが、電源を切られた機械のようにピタリと動きを止めていった。
ガタガタと鳴り続けていた無数の関節音が消える。
剣を構えていたナイトパペットも。
俺を取り囲んでいたウッドパペットも。
すべてが、その姿勢のまま完全に静止した。
通路を支配していた騒音が嘘のように消え去り、奇妙で圧倒的な静寂が満ちていく。
エメットは胸へ手を置いたまま、感情の読み取れない平坦な声で告げた。
「お礼に……」
水晶のように透き通った白銀の瞳が、真っすぐに俺を捉える。
「僕の心臓を……あげる」
その言葉の意味を理解するより先に、白銀の光が視界いっぱいに弾けた。
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※2026/07/31_地の文修正




