9
冷たい雨が降っていた。
砦の訓練場は泥だらけになり、誰も外へ出ようとはしない。
だが、一人だけ。
木剣を握り続ける少年がいた。
「はぁっ!」
剣を振る。
左の獣爪を突き出す。
踏み込む。
転ぶ。
立つ。
また振る。
雨が服を濡らし、泥が顔に跳ねても、ベスは止まらなかった。
「何百回目だ?」
ボルグが呆れたように笑う。
「数えてない。」
「数えろ。」
振り向くと、ガルドが立っていた。
「剣は回数じゃない。」
「積み重ねた日々が、お前の剣になる。」
ガルドは木剣を構える。
「来い。」
ベスは息を整える。
低く身を沈める。
右手に剣。
左手に獣爪。
獣のように円を描くように歩き始めた。
「……。」
ガルドは動かない。
ベスは地面を蹴る。
鋭く踏み込む。
左の獣爪が喉元を狙う。
その瞬間。
ガルドの姿が消えた。
「なっ……!」
真横。
木剣がベスの首筋へ止まる。
「死んでいた。」
ベスは歯を食いしばる。
「もう一回!」
何度も挑む。
何度も倒れる。
百回を超えても、一撃も届かない。
「どうしてだ!」
ガルドは剣を下ろした。
「お前は勝とうとしている。」
「それの何が悪い!」
「悪くない。」
ガルドは静かに首を振る。
「だが、お前は守ろうとしていない。」
その言葉が胸に刺さる。
「剣は、人を殺すためだけのものじゃない。」
「守るために振るう剣は、殺すための剣より強い。」
ベスは反発する。
「俺は復讐のために強くなる!」
「それでいい。」
ガルドは意外な答えを返した。
「今はな。」
「え……?」
「無理に心を変える必要はない。」
「だが覚えておけ。」
「お前の剣が誰かを守った日。」
「その日、お前は本当の剣士になる。」
雨はさらに強くなる。
ベスは何も答えられなかった。
翌日。
砦へ一人の男がやって来た。
肩には傷だらけの弓。
腰には短剣。
長い旅をしてきたことが一目で分かる。
「団長。」
「久しぶりじゃな。」
ガルドは珍しく笑みを浮かべる。
「まだ生きてたか。」
「しぶとさだけが取り柄じゃ。」
男はベスを見る。
「ほう。」
「この子か。」
「神殺しになるという子は。」
ベスの表情が固まる。
「なんで知ってる。」
男は答えない。
ただ、じっとベスの目を見つめる。
やがて小さく笑った。
「その目。」
「昔のワシにそっくりじゃ。」
「……。」
「ワシも神を憎んだ。」
「だが、その憎しみで仲間を失った。」
男は静かに弓を地面へ置く。
「名前はエイン。」
「今日から、お前に生き残る術を教える。」
ベスは不思議に思った。
「剣じゃないの?」
男は首を横に振る。
「戦場では、剣を振るう時間より。」
「生き延びる時間の方が長い。」
その言葉にガルドもうなずく。
「今日から、お前には二人の師がいる。」
一人は剣を教える男。
一人は生き残る術を教える男。
ベスの修行は、新たな段階へ進もうとしていた。
その時、砦の外れで鐘が鳴る。
カンッ――!
見張り台から叫び声が響く。
「魔物だ!」
「群れが来るぞ!」
団員たちが一斉に武器を取る。
ガルドはベスを見る。
「訓練は終わりだ。」
「ここからは実戦だ。」
ベスは剣を抜く。
右手に剣。
左手に獣爪。
その瞳に宿る炎は、以前よりわずかに静かになっていた。
しかし、その奥で燃える復讐の火だけは、少しも消えてはいなかった。
雨の中、灰鷹の戦士たちは砦の門へ駆け出す。
そしてベスは初めて、、、、、
仲間と共に命を懸ける戦場へ足を踏み入れる。




