アークトゥルス
冷たい雨が降っていた。
砦の訓練場は泥だらけになり、誰も外へ出ようとはしない。
だが、一人だけ。
木剣を握り続ける少年がいた。
「はぁっ!」
剣を振る。
左の獣爪を突き出す。
踏み込む。
転ぶ。
立つ。
また振る。
雨が服を濡らし、泥が顔に跳ねても、ベスは止まらなかった。
「何百回目だ?」
ボルグが呆れたように笑う。
「数えてない。」
「数えろ。」
振り向くと、ガルドが立っていた。
「剣は回数じゃない。」
「積み重ねた日々が、お前の剣になる。」
ガルドは木剣を構える。
「来い。」
ベスは息を整える。
低く身を沈める。
右手に剣。
左手に獣爪。
獣のように円を描くように歩き始めた。
「……。」
ガルドは動かない。
ベスは地面を蹴る。
鋭く踏み込む。
左の獣爪が喉元を狙う。
その瞬間。
ガルドの姿が消えた。
「なっ……!」
真横。
木剣がベスの首筋へ止まる。
「死んでいた。」
ベスは歯を食いしばる。
「もう一回!」
何度も挑む。
何度も倒れる。
百回を超えても、一撃も届かない。
「どうしてだ!」
ガルドは剣を下ろした。
「お前は勝とうとしている。」
「それの何が悪い!」
「悪くない。」
ガルドは静かに首を振る。
「だが、お前は守ろうとしていない。」
その言葉が胸に刺さる。
「剣は、人を殺すためだけのものじゃない。」
「守るために振るう剣は、殺すための剣より強い。」
ベスは反発する。
「俺は復讐のために強くなる!」
「それでいい。」
ガルドは意外な答えを返した。
「今はな。」
「え……?」
「無理に心を変える必要はない。」
「だが覚えておけ。」
「お前の剣が誰かを守った日。」
「その日、お前は本当の剣士になる。」
雨はさらに強くなる。
ベスは何も答えられなかった。
翌日。
砦へ一人の老人がやって来た。
肩には傷だらけの弓。
腰には短剣。
長い旅をしてきたことが一目で分かる。
「団長。」
「久しぶりじゃな。」
ガルドは珍しく笑みを浮かべる。
「まだ生きてたか。」
「しぶとさだけが取り柄じゃ。」
老人はベスを見る。
「ほう。」
「この子か。」
「神殺しになるという子は。」
ベスの表情が固まる。
「なんで知ってる。」
老人は答えない。
ただ、じっとベスの目を見つめる。
やがて小さく笑った。
「その目。」
「昔のワシにそっくりじゃ。」
「……。」
「ワシも神を憎んだ。」
「だが、その憎しみで仲間を失った。」
老人は静かに弓を地面へ置く。
「名前はエイン。」
「今日から、お前に生き残る術を教える。」
ベスは不思議に思った。
「剣じゃないの?」
老人は首を横に振る。
「戦場では、剣を振るう時間より。」
「生き延びる時間の方が長い。」
その言葉にガルドもうなずく。
「今日から、お前には二人の師がいる。」
一人は剣を教える男。
一人は生き残る術を教える男。
ベスの修行は、新たな段階へ進もうとしていた。
その時、砦の外れで鐘が鳴る。
カンッ――!
見張り台から叫び声が響く。
「魔物だ!」
「群れが来るぞ!」
団員たちが一斉に武器を取る。
ガルドはベスを見る。
「訓練は終わりだ。」
「ここからは実戦だ。」
ベスは剣を抜く。
右手に剣。
左手に獣爪。
その瞳に宿る炎は、以前よりわずかに静かになっていた。
しかし、その奥で燃える復讐の火だけは、少しも消えてはいなかった。
雨の中、灰鷹の戦士たちは砦の門へ駆け出す。
そしてベスは初めて、、、、、
仲間と共に命を懸ける戦場へ足を踏み入れる。




