サダルバリ
重い石扉が、ゆっくりと開いていく。
何百年、いや何千年もの時を閉ざしていたかのような鈍い音が、大聖堂に響き渡った。
その奥には、一本の長い回廊が続いていた。
白い石で造られた壁。
天井には青白く輝く結晶が埋め込まれ、淡い光が静かに道を照らしている。
誰も口を開かなかった。
そこは神聖という言葉だけでは表せない、不思議な空間だった。
ルキウスが一歩前へ出る。
「ここは『白銀の回廊』。」
「神代の者だけが歩くことを許された場所です。」
「私も入口までしか知りません。」
ベスは静かに回廊を見つめる。
左腕へ意識を向ける。
だが、フェンリルの鼓動は感じられない。
それでも、どこか懐かしい空気が胸を満たしていた。
灰鷹は慎重に歩みを進める。
壁には数え切れないほどの壁画が刻まれていた。
神々と人々が肩を並べる姿。
巨大な獣と共に戦う兵士たち。
豊かな森。
青い海。
笑顔で手を取り合う人々。
「争っていない……。」
リシアが小さく呟く。
アイラも壁画を見つめる。
「神と人が共に生きていた時代……。」
「神代は、本当にあったのね。」
さらに奥へ進むと、一枚だけ他とは違う壁画が現れた。
そこには、一頭の白銀の狼が描かれていた。
神々の列にも、人々の列にも属していない。
ただ、その中央に立ち、双方を見守るように描かれている。
ベスは自然と足を止めた。
「フェンリル……。」
近づいても鼓動は感じない。
それでも、その姿から目を離せなかった。
壁画の下には古代文字が刻まれていた。
アイラが静かに読み上げる。
「『白銀は均衡を見届ける者。』」
さらに続きを読む。
「『神にも属さず、人にも属さず。』」
最後の一文で、アイラの声が止まる。
「……読めない。」
文字が削られていた。
まるで誰かが、そこだけを意図的に消したように。
ルキウスが苦い表情を浮かべる。
「私も何十年と調べました。」
「ですが、その部分だけは、誰にも読めません。」
その時だった。
カツン。
静かな足音が回廊へ響く。
全員が振り返る。
誰もいない。
もう一度。
カツン。
カツン。
まるで誰かが、奥へ歩いていくような音。
エインが短剣を抜く。
「気配はある。」
「でも姿が見えない。」
ガルドは静かに仲間を庇うよう前へ出た。
「全員、固まれ。」
足音は回廊の奥で止まった。
その瞬間。
青白い結晶が一斉に輝き始める。
壁画が淡い光を放ち、神々や人々の姿が浮かび上がる。
そして――
白銀の狼だけが、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「!」
リシアが息を呑む。
壁画が動いたわけではない。
光がそう見せているだけなのか。
誰にも分からない。
だがベスだけは確信した。
見られている。
次の瞬間、回廊の奥から一陣の風が吹き抜けた。
その風は冷たく、それでいてどこか懐かしかった。
風がベスの左腕をかすめる。
思わず視線を落とす。
紋様はまだ灰色のまま。
鼓動も戻らない。
それでも、一瞬だけ温もりを感じた気がした。
ほんの一瞬だけ。
「……行こう。」
ベスが静かに歩き出す。
仲間たちも後に続く。
回廊の最奥には、大きな円形の広間が見えていた。
その中央には、何かを祀るように造られた白い祭壇。
しかし、その祭壇には何もない。
空っぽだった。
ルキウスが小さく呟く。
「そんな……。」
「記録では、ここには”ある存在”が眠っていたはず。」
祭壇を見つめるベス。
その時、不意に広間の奥から低い声が響いた。
「遅かったな。」
全員が一斉に剣を抜く。
だが、そこには誰の姿もない。
静かな声だけが、広間中へ響いていた。
「継承者。」
「ようやく、ここまで来たか。」
ベスは息を呑む。
その声には敵意がなかった。
どこか、長い年月を待ち続けていた者の響きがあった。
白銀の回廊は、まだ誰にも語られていない神代の秘密へと続いていた。




