マタル
石の書が、静かに閉じる。
重い音が大聖堂に響き渡ると、それまで漂っていた白い光はゆっくりと消えていった。
静寂。
誰もすぐには口を開けなかった。
ベスはまだ荒い呼吸を整えながら、祭壇へ視線を向ける。
今見た光景は幻ではない。
胸の奥へ焼き付いて離れなかった。
「驚きました。」
静かな拍手が響く。
ノクスだった。
「記録の書は、本来”記録守”しか触れることのできない神代の遺産。」
「それが、あなたを選んだ。」
ルキウスも信じられないという表情でベスを見る。
「私でさえ……神代の記憶を直接見たことはありません。」
その言葉に仲間たちは息を呑んだ。
アイラが小さく呟く。
「石の書が……ベスを。」
ノクスはゆっくりと石の書へ歩み寄る。
その指先が表紙へ触れた。
「継承者。」
「あなたは、一つ目の真実を知りました。」
「では、教えてください。」
静かな声だった。
「あなたは、何を見ましたか。」
ベスは迷わず答える。
「神が都を滅ぼした。」
「多くの人が死んだ。」
「それが真実だ。」
ノクスは静かに頷く。
「ええ。」
「その通りです。」
「では、もう一つ質問を。」
彼女はベスをまっすぐ見つめる。
「なぜ、神は滅ぼしたのでしょう。」
その問いに、ベスは言葉を失う。
理由までは見ていない。
ただ、滅びだけを見た。
ノクスは少しだけ目を伏せる。
「人は、見たいものだけを真実だと思い込む。」
「ですが、それは真実ではありません。」
ルキウスが一歩前へ出る。
「ノクス!」
「それ以上は!」
しかしノクスは穏やかな笑みを崩さない。
「私は答えを教える気はありません。」
「知るべきものは、自ら辿り着かなければ意味がない。」
彼女はベスへ向き直る。
「あなたは神を憎んでいる。」
「ですが、その憎しみは”理由”を知った後でも変わらないのでしょうか。」
その一言は、剣より鋭くベスの胸へ突き刺さった。
リシアがベスの隣へ立つ。
「ベス。」
その一言だけで十分だった。
ベスは小さく息を吐く。
「……分からない。」
静かな声。
「でも。」
「理由があるなら知りたい。」
「知った上で。」
「それでも許せないなら、俺は神を倒す。」
ノクスはその答えを聞き、わずかに目を細めた。
「なるほど。」
「少しだけ期待しましょう。」
その瞬間。
大聖堂全体が激しく揺れた。
ゴゴゴゴ……。
天井から石片が落ちる。
アイラが叫ぶ。
「祭壇の下!」
床一面に刻まれていた紋様が黒く染まり始める。
ルキウスの顔色が変わった。
「しまった!」
「封印が破られる!」
祭壇の奥から、鈍い唸り声が響く。
まるで何百年も眠り続けていた何かが、目を覚ますような低い咆哮だった。
ノクスはその音を聞いても動じない。
むしろ静かに目を閉じる。
「第四の鐘は終わりました。」
「次は、記憶の番人。」
「あなたたちに、この都が守り続けたものを乗り越えられますか。」
そう言い残すと、彼女の身体は黒い霧となって消えていく。
「待て!」
ベスが駆け出す。
しかし霧は指の間をすり抜け、跡形もなく消えた。
大聖堂はさらに激しく揺れる。
祭壇がゆっくりと左右へ割れ、その下から巨大な円形の石扉が姿を現した。
扉の表面には、無数の傷跡。
そして中央には、一頭の狼が刻まれていた。
白銀の狼。
フェンリルだった。
ベスは思わず息を呑む。
「どうして……。」
ルキウスは狼の紋章を見つめ、静かに告げる。
「ここから先は、記録守ですら足を踏み入れたことのない聖域。」
「神代最後の封印。」
「そして……。」
老人はゆっくりとベスを見る。
「フェンリルが、この世界へ初めて姿を現した場所です。」
重い石扉が、ゆっくりと音を立てて開き始めた。
その奥から吹き上がる冷たい風は、どこか懐かしさを帯びていた。
まるで長い眠りから目覚めた誰かが、継承者を迎え入れるように。




