ホマム
眩い光が大聖堂を包み込む。
思わず目を閉じたベスは、次の瞬間、足元の感触が消えていることに気付いた。
静寂。
風もない。
音もない。
ゆっくりと目を開く。
そこは大聖堂ではなかった。
果てしなく広がる白い世界。
地平線すら見えない空間に、ベスは一人立っていた。
「ここは……。」
返事はない。
左腕へ意識を向ける。
フェンリルの鼓動は、やはり感じられなかった。
不意に、遠くで誰かの話し声が聞こえた。
「急げ!」
「もう時間がない!」
白い景色が揺らぎ、世界に色が戻っていく。
そこは巨大な都だった。
アルセリアよりも遥かに巨大な城壁。
空へ届く塔。
翼を広げた神々の像。
人々は必死に走っている。
泣き叫ぶ子ども。
誰かを背負って逃げる兵士。
空を見上げる老人。
その全員の表情には、同じ感情が浮かんでいた。
――恐怖。
「これは……。」
ベスは一人の兵士へ手を伸ばす。
しかし、その手はすり抜けた。
触れられない。
声も届かない。
「記憶……なのか。」
空が揺れた。
雲が裂ける。
その向こうから、巨大な光がゆっくりと降りてくる。
あまりにも大きい。
山すら小石に見えるほどの光。
その姿を見た人々は膝をついた。
「神……。」
誰かがそう呟いた。
ベスは息を呑む。
自分が憎み続けてきた存在。
神。
しかし、その姿は光に包まれ、輪郭すら見えない。
顔も分からない。
男か女かさえ分からなかった。
神は何も語らない。
ただ静かに右手を掲げた。
その瞬間。
都の中央から巨大な光の柱が立ち上る。
轟音。
大地が裂ける。
塔が崩れ落ちる。
人々の悲鳴が世界を埋め尽くした。
「やめろ!」
ベスは叫ぶ。
届かないと分かっていても。
「やめろぉぉぉ!」
光は止まらない。
都は炎に包まれていく。
「これが……。」
膝をつくベス。
「神が……。」
その時だった。
崩れゆく都の中で、一人の青年が振り返る。
黒髪。
漆黒の外套。
年は二十代ほど。
不思議なことに、その青年だけは真っ直ぐベスを見つめていた。
まるで、ベスの姿が見えているかのように。
「……来たか。」
小さく唇が動く。
ベスは目を見開いた。
「俺が……見えるのか?」
青年は静かに微笑んだ。
「まだ、その時ではない。」
「だが、お前はいずれここへ辿り着く。」
「答えを知るために。」
その瞬間、青年の身体は光に飲み込まれた。
「待て!」
ベスが手を伸ばく。
届かない。
世界が再び白く染まっていく。
遠くから誰かの声が聞こえた。
「ベス!」
「ベス!」
リシアの声だった。
目を開く。
そこは大聖堂。
仲間たちが心配そうにベスを囲んでいた。
「大丈夫?」
リシアが肩を支える。
ベスは荒い息を整えながら頷いた。
「ああ……。」
額には冷たい汗が流れていた。
ルキウスが静かに口を開く。
「何を見ました。」
ベスは少し黙り込む。
そして、ゆっくり答えた。
「神代。」
「神が、一つの都を滅ぼすところを。」
その言葉に、ルキウスは静かに目を閉じた。
「やはり……。」
その一言だけが漏れる。
ベスはさらに続けた。
「でも、一人だけ。」
「俺が見えている奴がいた。」
「『まだその時ではない』って言った。」
ルキウスの表情が変わる。
初めて動揺が浮かんだ。
「まさか……。」
老人は震える声で呟く。
「彼の記憶に触れたというのですか。」
「そんなことが……。」
誰も、その意味を知らない。
ただ一人、ノクスだけが静かに目を閉じ、小さく笑っていた。
「始まりましたね。」
「継承者。」
その言葉と同時に、大聖堂の石の書がひとりでに閉じる。
重々しい音が響き渡る。
まるで世界が、ベスという一人の青年を認めたかのように。




