アルフィルク
第三の鐘が鳴り止み、古都アルセリアは再び静寂に包まれた。
しかし、その静けさは束の間だった。
大聖堂へ続く石畳に、黒い靄がゆっくりと広がっていく。
靄に触れた人々は立ち止まり、再び歩き始める。
「術が強くなってる……。」
アイラが顔をしかめた。
「このままじゃ、街中の人が大聖堂へ集まってしまう。」
ガルドは静かに周囲を見回す。
「急ぐぞ。」
「鐘楼へ向かう。」
灰鷹は人の流れを避けながら細い路地を進んでいく。
だが、大聖堂へ近づくほど人の数は増えていく。
無理に進めば、人々を傷つけてしまう。
レオンが足を止めた。
「このままじゃ突破できねぇ。」
ベスも周囲を見渡す。
子どもも。
老人も。
皆、同じ方向へ歩いている。
剣を振るう相手ではない。
「私に考えがあります。」
リシアが前へ出た。
仲間たちが振り向く。
「鐘の音に心が引かれているなら、それより強い『帰りたい気持ち』を思い出してもらえばいい。」
アイラが目を見開く。
「でも、そんな方法……。」
「一人ずつでは間に合いません。」
リシアは静かに頷いた。
「だから、みんなの力を貸してください。」
レオンは市場へ走る。
道の真ん中に倒れていた荷車を起こし、大きく鐘のように叩き始めた。
ガン、ガン、と乾いた音が街へ響く。
「飯屋の親父ー!」
「いつもの昼飯が冷めちまうぞ!」
「帰ってこい!」
豪快な声が広場へ響いた。
その声に、一人の料理人がぴくりと肩を震わせる。
エインは静かに路地へ入り、小さな犬を抱き上げる。
主人を探していた犬だった。
「行け。」
そっと地面へ下ろす。
犬は一直線に人混みへ駆け出した。
「ワン!」
鳴き声に、一人の少女がゆっくり振り返る。
「……ポチ?」
その瞳に、わずかな光が戻る。
アイラは広場の噴水へ駆け寄る。
古い魔導具へ魔力を流し込む。
止まっていた噴水が勢いよく水を噴き上げた。
子どもたちの笑い声が蘇る場所。
その音に導かれるように、数人の親子が立ち止まる。
「ここ……。」
記憶が少しずつ戻っていく。
ガルドは町中へ響くように声を張り上げた。
「アルセリアの者たち!」
「守ってきた街を忘れるな!」
「お前たちが積み重ねた日々は、誰にも奪えない!」
その言葉は鐘の音に負けないほど力強かった。
ベスは静かにその光景を見つめる。
誰も戦っていない。
誰も剣を振るっていない。
それでも、人々は少しずつ立ち止まり、家族の名を呼び始めていた。
「これが……。」
「灰鷹。」
ガルドが笑う。
「俺たちの戦い方だ。」
ベスも自然と笑みを浮かべる。
「ああ。」
「守るって、こういうことなんだな。」
その頃。
鐘楼の上ではノクスが街を見下ろしていた。
黒衣の使徒が静かに尋ねる。
「術が乱れています。」
ノクスは驚く様子もなく頷いた。
「当然です。」
「彼らは人の心を繋ぎ直している。」
黒衣の使徒は首を傾げる。
「排除しますか。」
「いいえ。」
ノクスは静かに微笑む。
「これは、始まりに過ぎません。」
そう言うと、大聖堂の奥へ視線を向けた。
巨大な扉の向こうから、かすかな振動が伝わってくる。
ゴ……。
ゴゴゴ……。
まるで何か巨大なものが目を覚まそうとしているようだった。
「第四の鐘まで、あとわずか。」
ノクスは小さく呟く。
その声を聞いた黒衣の使徒は、一歩だけ後ろへ下がる。
「では、目覚めるのですね。」
ノクスは静かに目を閉じた。
「ええ。」
「アルセリアが守り続けた”記憶”が。」
夕日に染まる古都。
人々はまだ完全には正気を取り戻していない。
それでも、家族の手を握り返す者。
友人の名を呼ぶ者。
街には少しずつ、人らしい声が戻り始めていた。
ベスは大聖堂を見上げる。
左腕に鼓動はない。
それでも不思議と焦りはなかった。
今、自分の隣には信じられる仲間がいる。
そして、守りたい人たちがいる。
その想いだけを胸に、灰鷹は大聖堂への最後の坂道を登り始めた。
その先で待つものが何であろうとも、もう迷うことはなかった。




