アルデラミン
第二の鐘が、古都アルセリアの空へ響き渡る。
重く、ゆっくりと広がる鐘の音。
その音に導かれるように、人々は無表情のまま大聖堂へ歩き続けていた。
ベスは左腕へそっと手を添える。
灰色へと変わったフェンリルの紋様。
目を閉じ、意識を向ける。
いつもなら、そこには確かな鼓動があった。
言葉ではない。
声でもない。
ただ、「そこにいる」と分かる鼓動。
だが今は――
何も感じられなかった。
「ベス。」
リシアが静かに声を掛ける。
「……フェンリルは?」
ベスはゆっくり目を開け、小さく首を横へ振った。
「鼓動が……感じられない。」
その一言だけで、仲間たちの表情が曇る。
ガルドは左腕を見つめた。
「紋様は消えていない。」
アイラも頷く。
「だから、いなくなったわけじゃない。」
「でも、今は何も感じられないのね……。」
ベスは黙って頷いた。
胸の奥が、ぽっかりと空いたようだった。
ゴォォォォン――。
再び鐘が鳴る。
住民たちの足取りが速くなる。
「来るぞ!」
ガルドの声と同時に、鐘へ向かう衛兵たちが道を塞いだ。
誰の目にも敵意はない。
ただ、何かに導かれるように歩いているだけだった。
「傷つけるな!」
レオンが叫ぶ。
「全員、生かして突破する!」
「了解!」
灰鷹は一斉に駆け出した。
ベスは衛兵の剣を受け流し、その勢いを利用して体勢を崩す。
足払いを掛け、倒れた相手の剣を遠くへ蹴り飛ばす。
戦い方は何も変わらない。
これまで鍛え上げてきた技は、そのまま身体が覚えている。
それでも、無意識に左腕へ意識が向いてしまう。
鼓動は感じない。
何度意識を向けても、静寂だけだった。
その静けさが、これまでどれほどフェンリルの存在を近くに感じていたのかを教えてくれる。
ベスは小さく息を吐いた。
「……大丈夫。」
「俺は俺だ。」
誰に言うでもなく、自分へ言い聞かせるように呟いた。
レオンが豪快に笑う。
「その顔だ!」
剣を弾きながら、ベスの肩を軽く叩く。
「忘れんな!」
「戦ってきたのは、その左腕じゃねぇ!」
「お前自身だ!」
ベスは思わず笑みを浮かべる。
「ああ。」
「そうだった。」
その言葉で、胸の中の迷いが少しだけ晴れた。
アイラが鐘楼を見上げる。
「あそこ!」
鐘楼の上には、ノクスが静かに立っていた。
黒い法衣を風になびかせ、街を見下ろしている。
その隣には、もう一人。
黒衣をまとった細身の人物。
顔は深いフードに隠れ、表情は見えない。
「増援……?」
エインが短く呟く。
ガルドは首を横へ振る。
「いや。」
「最初からいたんだ。」
鐘楼の上。
黒衣の人物がノクスへ尋ねる。
「白銀の狼は、沈黙しましたか。」
ノクスは静かに頷く。
「ええ。」
「鼓動は聞こえなくなりました。」
「では、継承者も終わりですか。」
その問いに、ノクスはベスを見つめたまま微笑む。
「いいえ。」
「だからこそ、これからです。」
「鼓動を感じられなくなった時。」
「彼が何を信じて歩くのか。」
「それを見届けましょう。」
鐘の音が止む。
街には一瞬だけ静寂が訪れた。
ベスはもう一度だけ左腕へ手を添える。
やはり鼓動は感じない。
寂しさは消えない。
不安もある。
それでも足は止まらなかった。
フェンリルが願った「守る」という想いは、もう誰かに教えられるものではない。
自分自身が選び、自分自身の信念として抱いているものだ。
ベスは仲間たちを振り返る。
そこには、迷いなく頷く灰鷹の姿があった。
「行こう。」
短いその言葉に、全員が力強く応える。
フェンリルの鼓動は、まだ戻らない。
それでもベスは前を向く。
信じるべきものは、左腕だけではない。
仲間と歩んできた旅路もまた、彼を支える確かな力となっていた。




