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バル  作者: 隣の猫
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エルタニン



湖畔には静かな風が吹いていた。


水面は鏡のように澄み、眠る村人たちの姿を映している。


誰も苦しそうな表情はしていない。


穏やかで、安らかな眠り。


だからこそ、その光景は恐ろしかった。


「まるで……。」


リシアが小さく呟く。


「生きることを諦めてしまったみたい。」


ベスは眠る少女の前へしゃがみ込む。


村で助けを求めてきた、あの少女の母親だった。


穏やかな笑みを浮かべたまま、微動だにしない。


「起きてください。」


呼び掛けても反応はない。


肩へ触れても、まぶたは閉じたままだった。




アイラは湖畔の石へ刻まれた文様を調べていた。


「術式は完成していない。」


「誰かが眠り続けることを望めば、この眠りは深くなる。」


ガルドが眉をひそめる。


「望めば?」


「無理やり閉じ込めているわけじゃない。」


アイラは苦しそうに頷いた。


「絶望した心へ囁いて、自分から眠りを選ばせる術なの。」


その言葉に、一同は沈黙した。


虚無の使徒は命を奪わない。


希望だけを奪う。




「じゃあ……。」


リシアが静かに言う。


「希望を思い出せたら。」


アイラは顔を上げる。


「目覚めるかもしれない。」


ベスは眠る人々を見渡した。


武器では救えない。


力でも届かない。


なら、自分にできることは一つだった。




ベスは少女の母親の手を握る。


「あなたの娘は待っています。」


返事はない。


「怖かった。」


「それでも、あの子は一人で逃げた。」


「あなたに、また会いたいから。」


静かな声だった。


だが、その言葉には嘘がなかった。


母親の指先が、わずかに震える。




「お願い。」


リシアも隣へ座る。


「帰りましょう。」


「あなたの居場所は、ここじゃありません。」


癒やしの光が手のひらから溢れる。


暖かな光。


傷を治すためではない。


人の心を包むような、小さな光だった。




やがて、母親の瞳から一筋の涙がこぼれる。


「……あ。」


小さな声。


ゆっくりと、まぶたが開く。


「ここは……。」


リシアが笑顔になる。


「お帰りなさい。」


その一言に、女性は堰を切ったように泣き始めた。


「娘は!」


「無事です。」


ベスが答える。


「あなたを待っています。」


女性は何度も頷きながら立ち上がった。




それをきっかけに、他の村人たちも少しずつ目を覚まし始める。


家族の名前を呼ぶ者。


友の手を握る者。


涙を流す者。


誰一人として、無理やり起こされたわけではない。


自ら「帰りたい」と願った者から、目を覚ましていく。


アイラは静かに呟いた。


「術が解けてる……。」


「希望が勝った。」




湖面が再び揺れる。


黒い波紋が広がり、あの仮面の人物が姿を現した。


「……なるほど。」


その声に怒りはなかった。


むしろ感心したような響きだった。


「力ではなく、言葉で目覚めさせたか。」


ベスは真っ直ぐ見据える。


「人は一人じゃ生きられない。」


「だから帰ってこられる。」


仮面の人物は静かに首を傾ける。


「帰る場所がある者は幸せだ。」


「だが、それを失った者は?」


ベスは迷わなかった。


「俺たちが作る。」


「もう一度。」


「帰れる場所を。」


湖畔に静寂が落ちる。


その答えは、誰かに教えられたものではない。


旅を通して、ベス自身が辿り着いた答えだった。




仮面の人物はしばらくベスを見つめていた。


やがて、小さく息を吐く。


「……面白い。」


「その答えが、どこまで世界を救えるのか見届けよう。」


その言葉とともに、黒い波紋は静かに消えていく。


だが最後に、一つだけ言葉を残した。


「古都アルセリア。」


「急げ。」


「間もなく、最初の鐘が鳴る。」


その瞬間、姿は完全に消えた。




湖畔には静かな朝日が差し込んでいた。


目覚めた村人たちは互いを抱きしめ合い、涙を流している。


ベスは空を見上げる。


アルセリア。


そこでは、さらに大きな戦いが待っている。


だが今は、一つだけ確かなことがあった。


希望は、剣では守れない。


人が人を信じる心によって、初めて守られる。
























その想いを胸に、灰鷹は再び歩き始めた。

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