7
秋の風が砦を吹き抜ける。
ベスが灰鷹へ来てから半年が過ぎていた。
毎日、山を走る。
薪を割る。
丸太を担ぐ。
木刀を振る。
その生活は一日も変わらない。
変わったのは、ベス自身だった。
幼かった身体には少しずつ筋肉がつき、細かった腕にも力が宿り始めていた。
それでもガルドには一度も勝てない。
一太刀も届かない。
「まだだ。」
その言葉だけが毎日返ってくる。
ある朝。
ガルドは一本の剣をベスへ投げた。
鞘に収まった鉄の片手剣。
「今日から木刀は終わりだ。」
ベスは目を見開く。
「本物……。」
「ただし。」
ガルドは左腕を指差した。
「獣爪も使え。」
ベスは左腕の黒い籠手を見る。
《獣爪ガントレット・フェンリル》。
この半年、一度も実戦で使われることはなかった。
ガルドは静かに構える。
「来い。」
ベスは深く息を吸う。
剣を握る。
右足を半歩引き、
腰を低く落とす。
その姿勢は、剣士というより獣だった。
次の瞬間。
地面を蹴る。
速い。
一直線ではない。
右へ。
左へ。
低く。
まるで狼が獲物を狩るように走る。
ガルドの剣が振られる。
ベスは飛び込まない。
滑るように懐へ潜り込む。
左腕の爪が閃く。
キィン!!
金属がぶつかる。
ガルドが初めて受け止めた。
「……ほう。」
その一瞬だった。
ベスは右手の剣を横薙ぎに振る。
しかし。
ガルドは身体を半歩引くだけで避ける。
木刀では届かなかった距離。
今もまだ届かない。
「甘い。」
次の瞬間。
ベスは空を見ていた。
背中から地面へ叩きつけられる。
息が止まる。
「ぐっ……!」
ガルドは剣を下ろした。
「今の動きは悪くない。」
「だが。」
「お前は敵しか見ていない。」
「戦場を見ろ。」
ベスは悔しさで唇を噛む。
また負けた。
だが今回は違った。
一撃だけ。
ほんの一瞬だけ。
ガルドの剣を止めることができた。
それだけで胸が熱くなる。
その日の午後。
「依頼だ。」
団員たちが集められた。
山の麓にある農場で、小型魔物《牙兎》が家畜を襲っているという。
「今回はベスも行く。」
その言葉に周囲がざわつく。
「まだ早い。」
「子どもだぞ。」
ガルドは首を横に振る。
「初陣だ。」
ベスは拳を握る。
ついに。
初めて。
本物の戦いだった。
森へ入って間もなく。
ガサッ。
草むらが揺れる。
赤い瞳。
灰色の毛。
鋭い牙。
狼ほどの大きさを持つ魔物《牙兎》。
一体。
二体。
三体。
群れだった。
団員が剣を抜く。
しかし。
「待て。」
ガルドはベスを見る。
「お前がやれ。」
喉が渇く。
手が震える。
足も震える。
怖い。
怖くて仕方ない。
目の前にいるのは、村を襲った魔物とは比べものにならないほど小さい。
それでも。
命を奪い合うことに変わりはない。
牙兎が飛びかかる。
ベスは考えるより先に身体が動いた。
低く潜る。
左腕の獣爪で牙を弾く。
火花が散る。
その勢いのまま肩から体当たり。
牙兎がよろめく。
「今だ!」
ガルドの声。
右手の剣が振り下ろされる。
鮮血が舞う。
一体目。
倒した。
だが残り二体が襲いかかる。
ベスは咆哮にも似た叫びを上げる。
「うおおおおっ!」
剣と爪が乱舞する。
噛みつくように踏み込み、
獣のように敵へ食らいつく。
その戦い方は、美しくない。
荒々しい。
泥臭い。
だが、生きることだけを求めた戦いだった。
数分後。
三体の牙兎は地面に倒れていた。
ベスもまた、膝をつく。
肩からは血が流れ、
息は荒く、
身体は震えている。
ガルドは静かに近づいた。
「初勝利だ。」
ベスは倒した魔物を見つめる。
嬉しくなかった。
誇らしくもなかった。
命を奪った重みだけが胸に残る。
それでも。
父と母を守れなかったあの日の少年より、一歩だけ前へ進めた気がした。
ガルドはその背中を見つめ、小さく呟く。
「獣は牙で戦う。」
「人は、何のために剣を振るうのか。」
その答えを知る日まで、ベスの旅は続いていく。




