ナヴィ
山の番人に導かれた灰鷹は、深い森を進んでいた。
空を覆う巨木。
幹には見たこともない蔦が絡みつき、葉の隙間から差し込む光が地面を淡く照らしている。
不思議なほど静かだった。
鳥のさえずりも、魔物の唸り声も聞こえない。
「静かすぎる……。」
リシアが小さく呟く。
ガルドは頷いた。
「この森は命を拒んでいるわけじゃない。」
「息を潜めているんだ。」
昼過ぎ。
森が突然途切れ、広大な空間が姿を現した。
そこには、巨大な石造りの遺跡が眠っていた。
何本もの柱は崩れ落ち、壁は風雨に削られている。
それでも、その壮大さは失われていなかった。
「こんな場所が……。」
レオンが息をのむ。
アイラは崩れた壁に刻まれた模様へ目を向けた。
「神殿じゃない。」
「造りが違う。」
ベスも壁へ近づく。
刻まれていたのは、人でも神でもない者たちの姿だった。
大きな角を持つ者。
翼を持つ者。
獣と人の姿を併せ持つ者。
彼らは争うのではなく、一つの輪となって空を見上げている。
「これが……古き種族?」
誰も答えられなかった。
遺跡の中央には、砕けた石碑が横たわっていた。
その周囲だけは、不自然なほど新しい足跡が残っている。
アイラがしゃがみ込む。
「十人。」
「二日前。」
ガルドの表情が引き締まる。
「黒い鎧の集団だ。」
ベスは石碑へ歩み寄る。
欠けた破片を拾い上げると、微かな文字が刻まれていた。
『争いは、神から始まったものではない。』
その一文だけが、かろうじて読めた。
「神から……始まったものじゃない?」
ベスは言葉を繰り返す。
もしそうなら。
神々は世界を壊した存在ではなく、何かを止めようとしていたのか。
その考えが頭をよぎる。
だが、生き証人の言葉とも繋がる。
『神だけが、この世界を歪めたわけではない。』
点だった言葉が、少しずつ線になり始めていた。
「動くな。」
低い声が遺跡に響いた。
全員が振り返る。
崩れた柱の上。
黒い鎧をまとった男たちが立っていた。
十人。
その先頭には、あの仮面の隊長。
互いに武器へ手を掛ける。
だが、誰も抜こうとはしない。
張り詰めた空気だけが流れる。
仮面の隊長が静かに口を開く。
「お前たちもここへ辿り着いたか。」
ベスは剣の柄へ手を添えたまま答える。
「石碑を追っている。」
「そうか。」
隊長は短く頷く。
「なら、一つ忠告しておく。」
「この先の遺跡では、剣よりも選択が命を分ける。」
レオンが眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。」
隊長はそれ以上語らない。
背を向けると、部下たちへ手を上げた。
「行くぞ。」
黒い鎧の集団は森の奥へ消えていく。
まるで争う気など最初からなかったかのように。
「追うか?」
レオンが問う。
ガルドは首を横に振った。
「追わない。」
「焦って得られる真実はない。」
ベスも頷く。
隊長の言葉が引っかかっていた。
『剣よりも選択が命を分ける。』
それは戦いではなく、何か別の試練を意味している。
その日の夕暮れ。
灰鷹は遺跡の一角で野営を始めた。
焚き火の火が揺れる中、ベスは昼間に拾った石碑の欠片を見つめる。
そこへガルドが腰を下ろした。
「迷っているか。」
「少し。」
ベスは石碑を握りしめる。
「神が悪だと信じて旅をしてきた。」
「でも、ここへ来てから、それだけじゃ説明できないことばかりです。」
ガルドは静かに火を見つめた。
「答えを急ぐな。」
「真実は、一つとは限らない。」
その言葉に、ベスはゆっくりと頷く。
焚き火の向こうでは、仲間たちが穏やかに笑い合っている。
守りたいもの。
知りたい真実。
その二つは、きっとどこかで繋がっている。
ベスは石碑をそっと袋へしまった。
それは単なる石ではない。
世界の歴史へ続く、小さな欠片だった。




