ルクバー
霧に包まれた石門の前。
老人は杖を静かに地面へ突いた。
乾いた音が辺りへ響く。
「ようやく来たか。」
誰も動かない。
ガルドが一歩前へ出る。
「あなたは?」
老人は小さく笑った。
「名など、とうの昔に捨てた。」
「ここでは皆、わしを”山の番人”と呼ぶ。」
その瞳は穏やかだった。
だが、その奥には長い年月を生きた者だけが持つ重みが宿っていた。
「この先へ行きたいのなら、一つだけ答えよ。」
番人はベスを見る。
「何のために山へ入る。」
ベスは迷わなかった。
「世界の真実を知るためだ。」
「それだけか?」
「……自分の答えを見つけるためでもある。」
番人は何も言わない。
ただ静かに目を閉じた。
「ならば、まだ半分じゃ。」
「半分?」
レオンが眉をひそめる。
「真実を知るだけでは足りぬ。」
「知った真実を、どう生きるか。」
「それを決める覚悟が必要だ。」
番人は石門へ向き直る。
杖を一度だけ叩いた。
低い振動が山へ広がる。
すると石門の表面へ、古い紋様が浮かび上がった。
誰も読めない文字。
しかし、不思議と意味だけは伝わってくる。
『心偽る者、ここより先へ進む資格なし。』
その瞬間。
門がゆっくり開き始めた。
重い音とともに、冷たい風が吹き抜ける。
門の先は一本の細い石橋だった。
底は見えない深い谷。
向こう岸までは百歩ほど。
番人が静かに告げる。
「渡れ。」
「それだけか?」
レオンが辺りを見回す。
罠も敵も見当たらない。
「ただ歩くだけじゃ。」
番人はそう言って道を譲った。
先頭はガルド。
迷いなく歩き始める。
何事もなく渡り切った。
続いてアイラ。
リシア。
レオン。
誰も異変はない。
最後にベスが橋へ足を乗せた。
その瞬間だった。
景色が消えた。
目を開く。
そこは焼け落ちた故郷だった。
炎。
泣き叫ぶ人々。
倒れた家族。
「……またか。」
ベスは剣を握る。
何度も夢で見た光景。
だが今回は違う。
目の前に幼い頃の自分が立っていた。
泣きながら神を睨みつけている。
『全部、壊してやる。』
幼いベスが叫ぶ。
『神も、人も、全部。』
現在のベスは静かに近付いた。
「違う。」
幼いベスが振り向く。
『何が違う。』
「全部壊しても、誰も救われない。」
『じゃあ、どうする。』
問い掛けだった。
答えは誰も教えてくれない。
ベス自身が見つけるしかない。
「俺は……。」
長い沈黙。
そしてゆっくり口を開く。
「守れる世界を作りたい。」
その言葉と同時に、炎が静かに消えていく。
幼いベスも微笑んだ。
『そうか。』
その姿は光となり、風へ溶けていった。
気付けば橋の向こう岸に立っていた。
仲間たちが駆け寄る。
「大丈夫か!」
レオンが肩を掴む。
「少し立ち止まってたぞ。」
リシアも心配そうに覗き込む。
「何が見えたの?」
ベスは橋を振り返る。
「……昔の俺だ。」
それ以上は語らなかった。
番人は静かに頷く。
「橋は心を映す。」
「逃げる者もいる。」
「嘘をつく者もいる。」
「お前は、自分自身と向き合った。」
番人は初めて穏やかな笑みを浮かべた。
「通るがよい。」
「お前たちには、その資格がある。」
石門のさらに奥。
深い森が広がっていた。
木々は空を覆い、昼だというのに薄暗い。
風が枝を揺らし、どこからともなく鐘のような音が響く。
番人は最後に一つだけ言った。
「覚えておけ。」
「この山で最も恐ろしいものは、魔物ではない。」
「人の心じゃ。」
ベスはその言葉を胸に刻み、仲間たちとともに森の中へ足を踏み入れた。
その先に待つものが、希望なのか絶望なのか。
まだ誰にも分からなかった。




