ゲンマ
霧の森を後にした灰鷹は、東へ向かう街道を進んでいた。
森を抜けると、空はどこまでも青く広がっている。
ベスは歩きながら、ふと胸元に触れた。
風鈴。
方位磁針。
鳥の御守り。
旅で出会った人々との約束が、少しずつ増えている。
「荷物、重くなったな。」
レオンが笑う。
ベスも笑い返した。
「全部、大事だから。」
その言葉を聞いたガルドは、何も言わず小さく頷いた。
その頃――。
中央島。
雲を突き抜ける巨大な神殿。
神々が集う円卓の間。
七つの玉座のうち、五つが埋まっていた。
一柱が静かに口を開く。
「第一神殿の封印が揺らいだ。」
別の神が冷たく答える。
「生き証人が目覚めたか。」
「放置すれば、人間へ真実を語る。」
空気が張り詰める。
すると、最も奥に座る神が静かに目を閉じたまま言った。
「……まだ語らぬ。」
「彼は約束を守る。」
その言葉には、不思議な信頼が込められていた。
神々でさえ、生き証人を完全には敵視していないようだった。
別の神が一枚の羊皮紙を卓上へ投げる。
そこには一人の青年の似顔絵。
「この男。」
「灰鷹のベス。」
ベスの名が、初めて神々の間で口にされた。
「神を討つと誓った人間。」
「放っておけば災いとなる。」
一柱の神が立ち上がる。
「今のうちに消すべきだ。」
しかし、奥の玉座の神は首を横に振った。
「まだだ。」
「見届ける。」
「彼が憎しみに呑まれるのか。」
「それとも――。」
そこで言葉を切る。
誰も続きを聞けなかった。
一方その頃。
灰鷹は街道沿いの古い砦へ立ち寄っていた。
魔物討伐の依頼である。
だが、砦へ着くと異変があった。
門が壊されている。
血痕。
折れた槍。
なのに、死体は一つもない。
「……妙だ。」
ガルドがしゃがみ込む。
ベスも周囲を見渡す。
「争った跡はある。」
「でも、誰もいない。」
その時。
地下から微かな声が聞こえた。
「……たすけ……。」
リシアが駆け出す。
地下牢の扉を開けると、十数人の避難民が身を寄せ合っていた。
「助かった……。」
老人が涙を流す。
「魔物じゃない。」
「黒い鎧の連中が来たんだ。」
「黒い鎧?」
ガルドの表情が変わる。
「見間違いではないか?」
老人は首を振る。
「違う。」
「人間だった。」
避難民の話によれば、黒い鎧の集団は魔物を倒すこともなく、砦の奥にあった石碑だけを持ち去っていったという。
「石碑?」
ベスが尋ねる。
老人は震える声で頷く。
「神様の言葉が刻まれた石碑だと、昔から伝わっていた。」
灰鷹の空気が変わる。
ガルドは静かに言う。
「神殿。」
「遺跡。」
「石碑。」
「全部繋がっている。」
その夜。
焚き火を囲みながら、ベスは一人考え込んでいた。
生き証人。
ゼグ。
アルト。
そして黒い鎧の集団。
誰もが少しずつ違う真実を知っている。
なのに、誰も全てを語らない。
「焦るな。」
隣に座ったガルドが呟く。
「真実は、追いかけるものじゃない。」
「歩いた先で、自分から姿を見せる。」
ベスは炎を見つめながら、小さく頷いた。
「はい。」
今はまだ分からない。
でも、一歩ずつ進めばいい。
そう思えるようになっていた。
その頃、山脈の彼方。
黒い鎧をまとった集団が、奪った石碑を巨大な祭壇へ運んでいた。
隊長格の男が、石碑に刻まれた古代文字を見つめる。
「また一つ、集まった。」
その背後には、翼を模した黒い紋章。
神殿騎士団とも違う。
灰鷹とも違う。
世界の裏で動く、もう一つの勢力。
男は静かに笑う。
「急げ。」
「“門”が開く前に。」
その言葉だけを残し、黒い鎧の一団は闇へと消えていった。
そしてベスはまだ知らない。
自分が追う神々だけではなく、人間の欲望もまた、この世界を大きく揺るがそうとしていることを。




