コンフリクト
港を出て。
ベスたちは。
山へ続く道を歩いていた。
雪は。
港よりも深い。
踏み出すたびに。
靴が雪へ沈む。
「……やっぱり寒いな」
レオンが。
白い息を吐く。
その吐息はすぐに霧散し、冷気に吸われて消えた。
「北ってのは、何度来ても慣れねえな」
ベスは。
小さく頷いた。
「前に来た時も、こんなだった。」
「そうだったな。」
ガルドが。
前方を見ながら答える。
その声は低く、風に削られてわずかに途切れる。
その横では。
エインが大弓を背負って歩いている。
弓の弦が風に鳴り、かすかな金属音を立てた。
ボルグは大楯を手にしていた。
雪を踏むたびに、鈍い圧が地面へ伝わる。
アイラは。
時折、山の奥へ視線を向ける。
その目は鋭く、風の流れの変化を追っていた。
リシアも。
静かに周囲を警戒していた。
雪を踏む音の中に、わずかな異常を探している。
そして。
ノアの腕の中には。
灰猫がいた。
灰猫は。
ノアの胸元に身体を丸めている。
「寒い……。」
小さく呟くと。
ノアが。
灰猫を抱き直した。
「猫さん、あったかい?」
「……今はな。」
灰猫は。
それだけ言って。
再び目を閉じる。
だが耳だけは、周囲の音を逃していない。
ベスは。
思わず小さく笑った。
その時だった。
――ドンッ。
遠くから。
低い音が響いた。
空気そのものが震えたような、重い衝撃。
全員が。
足を止める。
ノアも。
顔を上げた。
灰猫が。
ゆっくり目を開く。
「……戦っておるな。」
その声は、いつもより低い。
もう一度。
――ドォンッ!!
今度は。
はっきりと。
山全体が鳴った。
雪が。
わずかに舞い上がる。
風が一瞬、逆流する。
ガルドが。
前を見る。
「行くぞ。」
その一言で。
空気が締まった。
ベスも。
剣へ手を添える。
一行は。
音のする方向へ進んだ。
山道を抜ける。
岩肌が露出した場所で。
一度身を低くする。
風が強い。
その風の中に。
異質な“圧”が混じっていた。
その先に。
広い雪原があった。
そして。
ベスは目を見開いた。
「……虚無の使徒。」
黒い霧。
視界の端から端までを侵食するように広がる闇。
黒い外套。
黒い刃。
黒い仮面。
その存在だけが、雪の白さを拒絶している。
見間違えるはずがない。
何度も戦った相手だ。
一人一人が。
人の域を超えた力を持っている。
その数。
九人。
動くたびに、空気が裂けるような音がした。
そして。
その中央に。
一人の男が立っていた。
他の使徒とは。
明らかに違う。
立っているだけなのに。
周囲の空気が重い。
圧が“沈む”。
雪がその周囲だけ、わずかに沈み込んでいる。
ベスは。
その男を見つめる。
以前。
戦ったことがある。
その強さも。
知っている。
だが今は、その時よりもさらに“鋭い”。
だが。
その向かい側には。
さらに異質な存在がいる。
白。
雪の中でも。
はっきり分かる白。
四体の神の先兵。
白い翼。
白い羽。
白い刃。
その存在は、音を持たない。
ただ“圧”だけがある。
「神の先兵……。」
リシアが。
小さく呟く。
その声は、風にかき消されそうになる。
ベスの手に。
自然と力が入る。
西で戦った。
あの存在。
感情が分からない。
ただ。
命令を実行する。
今。
その先兵たちが。
虚無の使徒と向かい合っている。
空気が。
張り詰める。
音が消える。
代わりに“圧”だけが増していく。
「どうして……。」
ノアが。
不安そうに呟く。
その声は震えていた。
ベスは。
答えられなかった。
灰猫も。
ノアの腕の中から。
戦場を見ている。
いつもの眠そうな目ではない。
瞳が細くなり、風の流れを読んでいる。
「……妙な場所じゃな。」
その言葉の直後。
――ズンッ。
黒い霧が。
一気に膨れ上がった。
音ではない。
“圧の爆発”。
九人の使徒が。
一斉に動く。
雪を蹴る。
その瞬間。
爆音が遅れて追いつく。
黒い影が。
四方へ散った。
地面が裂けるような速度。
神の先兵も。
同時に動く。
白い羽が。
一斉に舞い上がった。
その一枚一枚が、刃のように空気を切る。
キィィィンッ!!
黒い刃と。
白い刃が。
真正面からぶつかる。
衝撃が“音”になる前に、空気が押し潰される。
次の瞬間。
爆風。
雪が。
一気に吹き飛ぶ。
視界が白と黒で割れる。
「速い……。」
ベスは。
目を細める。
目で追うのではなく、残像でしか捉えられない。
使徒たちは。
一人ずつ戦っているわけではない。
互いの位置を把握し。
四体の先兵を。
複数方向から同時に狙っている。
動きが“連鎖”している。
だが。
先兵も。
崩れない。
一体が。
黒い刃を受け止める。
その瞬間。
金属が悲鳴を上げるような高音。
その横を。
別の先兵が通り抜ける。
白い羽が。
一気に広がった。
バシュッ!!
空気が裂ける音。
黒い霧が。
弾ける。
一人の使徒が。
雪原へ叩き落とされた。
地面が爆ぜるように沈む。
「一人。」
アイラが。
静かに呟く。
その声も、風に削られる。
続いて。
二体目。
白い羽が。
黒い刃を弾く。
火花のような光が散る。
そのまま。
白い刃が走った。
空気が“切断”される音。
二人目の使徒が。
雪へ倒れる。
衝撃で雪が波のように広がる。
「二人目。」
エインが。
大弓へ手を添えたまま。
戦場を見る。
弓弦が微かに震えている。
そして。
三人目。
先兵の羽が。
至近距離から炸裂する。
音が遅れて爆ぜる。
黒い外套が。
雪面を転がった。
その軌跡に、深い溝が刻まれる。
ベスは。
息を呑む。
三人。
一瞬だった。
「……やっぱり。」
レオンが。
大剣を握る。
刃がわずかに鳴る。
「先兵も化け物だな。」
その瞬間。
戦場の中央で。
空気が変わった。
“圧”が一段階落ちる。
残った使徒たちが。
一斉に距離を取る。
その中で。
幹部だけが。
動いた。
一歩。
雪を踏む。
その瞬間。
音が消える。
次の瞬間。
消える。
「速い!」
ベスの視界から。
黒い影が消えた。
空気が裂ける。
白い先兵の一体が。
反応する。
白い刃が。
振り下ろされる。
キィンッ!!
金属音が爆ぜる。
黒刀が。
それを受け止めた。
衝撃で空気が弾け、周囲の雪が円形に吹き飛ぶ。
幹部は。
もう一本の刀を抜く。
その動きが“線”になる。
一閃。
白い羽が。
大きく散った。
空気が裂ける音と同時に。
先兵の身体が。
吹き飛ぶ。
雪面を滑り。
轟音を残して止まる。
動かない。
「……一体。」
ガルドが。
低く呟く。
ベスは。
戦場から目を離さなかった。
虚無の使徒。
神の先兵。
どちらも。
その強さを。
知っている。
だからこそ。
目の前の戦いが。
“異常”だと分かる。
黒い霧が。
雪原を覆う。
白い羽が。
その中を切り裂く。
黒と白が。
何度も交差する。
そのたびに。
衝撃が遅れて山を揺らす。
音が追いつかない。
風が遅れて叫ぶ。
雪山の奥へ。
衝撃音が積み重なっていく。
ベスは。
無意識に。
空を見上げた。
山の斜面。
積もった雪が。
ほんのわずかに。
震えた。
崩れる前の、静かな予兆として。




