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バル  作者: 隣の猫
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アンノウン



朝。


地下水路から戻った灰鷹たちは、久しぶりの地上で身体を休めていた。


簡素な食事が並べられる。


焼いた肉。


温かいスープ。


固いパン。


ベスは椅子に座ったまま、ゆっくりとスープを口へ運んでいた。


身体はまだ重い。


左腕にも、わずかに力が残っている。


それでも。


昨日までの張り詰めた空気は、もうなかった。


向かいでは、エインが肉を切っている。


その隣では、ボルグが豪快に肉へかぶりついていた。


しばらく。


誰も口を開かなかった。


やがて。


エインがベスを見る。


「……強くなったの。」


ベスが顔を上げる。


「え?」


「昨日の戦いじゃ。」


エインはゆっくりと肉を置いた。


「正直、驚いた。」


ボルグも頷く。


「俺もだ。」


「前に見た時より、ずっと強くなってる。」


ベスは少し困ったように視線を逸らす。


「……そうかな。」


「そうじゃ。」


エインが笑う。


「昔のお前なら、あの白い奴を見た瞬間に突っ込んでおったじゃろ。」


ベスは何も言わない。


思い出す。


怒り。


仲間の傷。


奪われる恐怖。


あの瞬間。


確かに。


身体が勝手に前へ出ようとしていた。


「……。」


エインは、その沈黙を見ていた。


「だが。」


声が少しだけ低くなる。


「最後は、自分で止まった。」


ベスが顔を上げる。


「怒りを抱えたまま、自分で選んだ。」


ボルグが腕を組む。


「それでもまだ危なっかしいけどな。」


「危なっかしい?」


「おう。」


ボルグは笑った。


「怒りに飲まれるようじゃ、まだまだ子供よ。」


「……。」


ベスは少しだけ頬を膨らませる。


「子供じゃない。」


「そういうところが子供なんじゃ。」


「……。」


エインが笑う。


「まあ、よい。」


「強くなった。」


その言葉だけは。


冗談ではなかった。


ベスは返事をしなかった。


ただ。


スープを一口飲む。


胸の奥に。


少しだけ温かいものが残った。


その時。


エインの視線が、ベスの左腕へ移った。


「……そういえば。」


ベスも左腕を見る。


使い込まれたガントレット。


今は静かに腕へ収まっている。


エインが目を細めた。


「おまえさんが持っていた、そのガントレット。」


「え?」


「フェンリルが封じられていたとはな。」


ベスの手が止まる。


「……フェンリル?」


ボルグもガントレットを見る。


「俺たちは知らなかったぞ。」


「俺も聞いたことがなかった。」


ベスは二人を見る。


「いや。」


少し考えてから。


「ここに来た時に貰ったんだよ。」


「貰った?」


エインの眉がわずかに動く。


その反応は、否定というより「噛み合わなさ」だった。


「……誰からだ?」


「鍛冶師みたいな男。」


その瞬間。


空気が、ほんの一拍だけ遅れた。


ボルグが肉を持ったまま止まる。


エインの目が細くなる。


「鍛冶師……?」


ベスは頷く。


「うん。炉の匂いがして、手が黒くてさ。声は低くて、あんまり顔は見えなかったけど。」


言いながら。


ベスの中に、妙な違和感が浮かぶ。


顔が、はっきりしない。


声も、思い出そうとすると輪郭が揺れる。


それでも。


「確かにいた」と思える。


その確信だけは残っている。


エインがゆっくりと息を吐いた。


「……おかしいのう。」


「何が?」


「灰鷹に鍛冶師などおらん。」


ベスの動きが止まる。


「え?」


ボルグが低く言う。


「少なくとも、俺は見てない。」


「俺もだ。」


ボルグは続ける。


「お前がここに来た時、意識はあった。だが、誰かと会話した記録はない。」


ベスの喉がわずかに動く。


「でも……」


言いかけて。


止まる。


頭の奥で、何かが引っかかる。


確かに。


あの時。


ガントレットを受け取った。


重さ。


冷たさ。


手の感触。


それは、今も左腕に残っている。


だが。


その「始まり」が、どこからだったのか。


急に曖昧になる。


ボルグが静かに言う。


「お前の記憶が間違っているとは言わん。」


「ただな。」


視線がガントレットへ落ちる。


「その話と、俺たちの記憶は噛み合わん。」


ガルドがそこで口を開いた。


「……ベス。」


ベスが顔を上げる。


「お前は最初から、そのガントレットを持っていた。」


はっきりとした声だった。


迷いはない。


「俺がお前に渡したのは剣だけだ。」


空気が、さらに重くなる。


ベスは左腕を見る。


黒い鉄。


獣の牙のような紋様。


何度も戦いを共にした感触。


「……でも。」


声が少しだけ掠れる。


「俺は確かに……」


言葉が途中で途切れる。


頭の中で。


映像が崩れ始める。


鍛冶師の男。


炉の火。


差し出されたガントレット。


受け取る自分。


だがその映像の端が。


砂のように崩れていく。


「……。」


ベスは左腕を強く握る。


ガントレットが、わずかに軋んだ。


その音だけが、やけに現実的だった。


エインが小さく呟く。


「記憶が……ずれておるな。」


ボルグは何も言わない。


ただ、ガントレットを見ている。


まるで。


そこに「何か」がいるかのように。


ベスの喉が乾く。


あの男は。


本当に――。


それとも。




















最初から――。

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