ミアプラキドゥス
蒼嵐の港町を発って七日。
ベスは街道を東へ歩き続けていた。
昼は照りつける陽射し。
夜は肌寒い風。
灰鷹と旅をしていた頃とは違い、すべてを一人で決めなければならない。
食料の管理。
寝床探し。
危険の判断。
失敗すれば、その代償を払うのも自分だけだった。
だが、不思議と孤独ではなかった。
ガルドの教え。
老人の言葉。
仲間たちとの訓練。
その全てが、今も自分の中に生きている。
「……みんなと旅をしてるみたいだ。」
そう呟き、少しだけ笑った。
昼過ぎ。
山道を歩いていると、焦げた匂いが風に乗って流れてきた。
嫌な予感がした。
足を速める。
木々を抜けた先には、小さな集落があった。
家々は壊され、柵は倒れている。
まだ煙が上がっていた。
「遅かったのか……。」
ベスは剣を抜き、慎重に歩く。
すると、かすかな泣き声が聞こえた。
崩れた納屋の下からだった。
急いで瓦礫をどける。
中には、小さな女の子が身を縮めていた。
七歳くらいだろうか。
「もう大丈夫。」
ベスが優しく声をかける。
少女は涙で濡れた顔を上げる。
「お兄ちゃん……。」
その一言だけで、ベスの胸に昔の記憶がよみがえった。
もし、あの日。
自分にも助けてくれる人がいたなら。
そう考えた瞬間、自然と少女を抱き寄せていた。
生き残った村人はわずか六人。
話を聞くと、狼型の魔物が十数体で襲ってきたという。
「兵士を呼ぼうにも、この村は街道から外れていて……。」
老人が力なく俯く。
ベスは村を見回した。
「俺が見回ります。」
村人たちは驚く。
「一人で?」
「数が多いぞ。」
ベスは静かに頷いた。
「だから、一人で行きます。」
守るべき人を危険に巻き込みたくなかった。
森へ入る。
獣爪で折れた枝に触れる。
足跡。
毛並み。
土の掘り返し。
灰鷹で学んだ知識が役立つ。
「……いた。」
狼型魔物は九体。
群れで休んでいる。
以前なら正面から飛び込んでいた。
だが今は違う。
風向きを読む。
地形を見る。
逃げ道を塞ぐ。
一体ずつ誘い出す。
焦らない。
最初の一体を倒す。
音を立てずに移動。
二体目。
三体目。
気づかれた頃には、群れは半分以下になっていた。
残る四体が一斉に飛びかかる。
「来い!」
ベスは地面を蹴る。
右の剣が一閃。
左の獣爪が牙を逸らす。
流れるような動き。
無駄がない。
それでも腕に傷を負う。
頬を掠められる。
完璧ではない。
だが、倒れない。
最後の一体が地に伏した時、ベスは膝をついた。
「まだ……甘いな。」
傷口を押さえながら、それでも笑っていた。
生き残った。
そして、守れた。
村へ戻ると、人々が息を呑んだ。
「終わった。」
その一言で、老人は崩れるように座り込む。
「ありがとう……。」
少女が駆け寄り、小さな花を差し出した。
野に咲く白い花だった。
「これ、お礼。」
ベスは少し照れながら受け取る。
「大切にするよ。」
少女は笑った。
その笑顔を見た瞬間、ベスは気づく。
復讐だけでは、この笑顔は守れない。
もっと強く。
もっと優しく。
そう思えた。
翌朝。
旅立つベスを村人たちが見送る。
食料を分けようとする老人に、ベスは首を振った。
「皆さんの方が必要です。」
代わりに、水筒だけ受け取る。
「この水筒は、この村で作ったものだ。」
「蒼嵐の竹でできている。」
「きっと旅の役に立つ。」
ベスは深く頭を下げた。
「必ずまた来ます。」
少女が手を振る。
「お兄ちゃん!」
「またね!」
その声を背に受けながら、ベスは街道へ戻る。
風が竹林を揺らす。
その音は、まるで誰かが旅立ちを祝福しているようだった。
しかし、その様子を遠くの崖から見つめる影があった。
黒衣の男ではない。
痩せた男が、一羽の黒い鷹を空へ放つ。
「見つけた。」
「灰鷹の少年。」
鷹は一直線に東へ飛び去る。
その先には、蛇が尾を噛む紋章を掲げる者たちの拠点があった。
「……始めよう。」
静かに笑う男の瞳には、底知れぬ悪意が宿っていた。
ベスはまだ知らない。
自分が、誰かに追われ始めたことを。
そして三か月の旅は、思っていた以上に過酷なものになっていくことを。




