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バル  作者: 隣の猫
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377/398

ポー



「猫さん、待って!」


ノアの声が響く。


灰猫は走っていた。


いつもなら。


昼間は日当たりのいい場所で丸くなり。


呼ばれても少し遅れて振り返る。


そんな猫だった。


けれど。


今は違う。


迷いなく。


焼けた街の奥へ向かっている。


「猫さん!」


ノアは小さな足で必死に追いかける。


「どうしたの?」


「何かあったの?」


灰猫は答えない。


ただ耳を立て。


風の流れを読むように進んでいく。




街の中央へ着く。


灰猫は足を止めた。


目を閉じる。


静かに。


何かを探しているようだった。


ノアは隣で首を傾げる。


「……猫さん?」


数秒後。


灰猫の目が開く。


「遅かったか。」


小さな呟き。


ノアの表情が変わる。


「何が?」


灰猫は空を見る。


風が変わっていた。


焼けた街の匂い。


その奥に混じる。


覚えのある気配。


「黒い霧じゃ。」


ノアは息を呑む。


灰猫の尻尾がゆっくり揺れる。


怒っている時の動きだった。


「また来る。」


「この場所へ。」




ノアは灰猫を見る。


いつものように眠そうな顔ではない。


冗談を言う時の声でもない。


小さな身体から。


強い力が感じられた。


「猫さん……。」


灰猫はノアを見る。


「ノア。」


「はい。」


「ここから動くなとは言わん。」


「じゃが。」


一瞬だけ目を細める。


「無茶だけはするでないぞ。」


ノアは頷く。


「猫さんも。」


灰猫は少しだけ笑う。


「わしは大丈夫じゃ。」


そして。


再び前を見る。


黒く染まり始めた空へ。


「次は許さぬ。」




「……ノアの声だ。」


鍛冶屋の店内。


ベスが顔を上げた。


一瞬の静寂。


次の瞬間、ガルドが椅子を蹴るように立ち上がる。


「行くぞ。」


迷いはなかった。


全員が外へ飛び出す。




扉が開いた瞬間。


空気が“重く”なった。


音が消えている。


人の声も、鉄を打つ音も、風すらも。


世界から切り取られたような静寂。


ベスの足が止まる。


「……何だ、これ。」


空を見上げる。


そこにあったのは、黒。


雲ではない。


霧でもない。


“落ちてくる闇”だった。


ゆっくりと、街へ降りている。


「……虚無の使徒。」


ガルドの声が低く沈む。




街の中央。


そこに“それ”は立っていた。


灰猫。


だが、誰もすぐにそれを猫だと認識できなかった。


空気が違う。


その周囲だけ、風が止まっている。


音が死んでいる。


まるで世界が一歩引いているようだった。


ノアが小さく息を呑む。


「……猫さん。」


呼びかけても、返事はない。


灰猫は動かない。


ただ一点を見ている。


黒い霧の“奥”。


その視線は、揺れない。


瞬きすらない。


ベスは無意識に剣の柄へ手をかけたまま、動けなかった。


(……違う)


(いつもの猫じゃない)




黒い霧が地面に触れた瞬間。


“影”が生まれた。


一人。


また一人。


十の気配が、街に立つ。


黒い外套。


黒い仮面。


虚無の使徒。


その中心の男が、ゆっくりと街を見渡す。


「まだ残っていたか。」


声は冷たい。


感情がない。


「盟主様の命だ。」


「この街に残るものを、すべて消す。」


その言葉が落ちた瞬間だった。


灰猫の尻尾が、わずかに動いた。


一度だけ。


“空気が割れた”。


ベスの背筋に寒気が走る。


(来る)


理由ではない。


本能だった。




灰猫が、一歩踏み出す。


その一歩で、地面の砂が“沈む”。


音が遅れて聞こえる。


「……。」


小さな身体。


だが、その存在だけが異様に重い。


視線が上がる。


虚無の使徒たちへ。


その目は、怒っていない。


叫んでもいない。


ただ――


“許していない”。


それだけだった。


「ここは。」


声は低い。


だが、街全体に響いた。


「お主らが踏み入れてよい場所ではない。」


一瞬。


虚無の使徒の一人が笑う。


「猫が何を――」


言い終わる前だった。


灰猫の右手が“消えた”。


次の瞬間。


爆ぜるような衝撃。


一人の使徒が、何が起きたかも分からぬまま吹き飛ぶ。


石畳が砕ける。


黒い霧が裂ける。


遅れて音が来る。


ベスの目が見開かれる。


「……速い、なんてもんじゃない」


灰猫は何事もなかったように。


ただ、前を見ている。


その瞳だけが、静かに燃えていた。


「二度目はない。」


その一言で。


街の空気が、完全に変わった。


西の街で。





















“守る者”が牙を剥いた。

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