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バル  作者: 隣の猫
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パースト



水平線の先。


最初に見えたのは、赤く染まった山々だった。


夕日に照らされたような色。


海の向こうに広がる大地は、遠くから見るだけなら、かつてと何も変わっていないように見えた。


――あの時と同じだ、と誰もが一瞬思う。


ベスは甲板の上から、その景色を見つめていた。


「……。」


言葉が出なかった。


思い出す。


初めてこの大陸へ来た時。


雪に覆われた北の大地を越えた先にあった景色。


白い石造りの街。


高くそびえる鐘楼。


運河を渡る橋。


風に舞う赤や黄金の葉。


石畳に落ちる影さえ、美しかった。


あの時は、ただ綺麗だと思った。


復讐だけを胸に歩いていた自分が、初めて足を止めた場所だった。


「懐かしいですね。」


リシアが小さく呟く。


ベスは頷く。


「ああ。」


短い返事。


だがその声には、かつての冷たさはなかった。


あの頃の自分なら、景色など見ていなかった。


敵を倒すことだけを考えていた。


けれど今は違う。


守りたいと思うものが増えた。


その時。


「……おかしい。」


アイラが遠くを見つめる。


「何か見える。」


ベスも目を細めた。


街があるはずの場所。


白く輝いていたはずの建物の輪郭の中に、黒い影が混じっている。


最初は雲かと思った。


だが違う。


煙だ。


それも、一筋ではない。


街のあちこちから、細く、絶え間なく立ち上っている。


嫌な予感が胸をよぎる。


船が進むにつれて、その“違和感”は形を持ちはじめる。


山はある。


海も変わらない。


だが――


街だけが、記憶と違っていた。


白かったはずの壁は崩れ落ち、石は黒く焼けている。


整っていた屋根は潰れ、骨組みだけが空に突き出していた。


鐘楼は途中から折れ、かつて街全体に響いていた音の面影すらない。


運河は濁り、橋は途中で途切れている。


あの時、風に舞っていた紅葉はもうない。


代わりに、灰が風に舞っていた。


誰も言葉を発しない。


あまりにも、違いすぎた。


あの美しかった場所が。


記憶の中にある景色が。


同じ場所とは思えないほどに、壊れている。



甲板の隅。


灰猫は一人、静かに西の大地を見つめていた。



鳴かない。



動かない。



ただ、そこに重なっている


“何か”


を見ているようだった。


ノアが隣へ座る。


「……猫さん。」



灰猫はゆっくりとノアを見る。



いつものように、何も言わない。


けれどノアは、少しだけ首を傾げた。


「どうしたの?」



灰猫は答えない。



ただ、もう一度前を見る。



その視線の先には、かつて確かに存在していた


“日常”


の残骸があった。


もうすぐ、帰ってくる。


かつて過ごした場所へ。


けれどそこにあるのは――


あの日、確かに生きていた景色ではなかった。

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