ラスアルゲティ
任務を終えた翌朝。
ベスは珍しく呼び出しを受けた。
待っていたのはガルドではない。
あの老人だった。
「少し付き合え。」
短くそう言うと、老人は王城とは反対の山道へ歩き始める。
「どこへ行くんですか?」
「見せたいものがある。」
それ以上は語らない。
ベスも黙って後を追った。
道は次第に険しくなる。
岩肌を削るような細い山道。
深い霧が立ち込め、鳥の声すら聞こえない。
二時間ほど歩いた頃。
老人が足を止めた。
霧の向こう。
巨大な石造りの門が姿を現す。
門には苔に覆われた古代文字。
左右には、狼と翼を持つ竜の石像が向かい合うように立っていた。
「ここは……。」
老人は静かに答える。
「白霧の神殿。」
ベスの胸が僅かにざわつく。
その名は、以前から何度か聞いていた。
だが、実際に訪れるのは初めてだった。
「中へ。」
重い石門がゆっくりと開く。
⸻
神殿の中は静まり返っていた。
黒ずんだ壁。
巨大な柱。
そして、古い時代を描いた壁画。
四つの大陸。
中央島。
その上空から降り注ぐ光。
しかし。
そこに描かれていた存在の顔だけは、何者かによって削り取られていた。
「誰が……。」
ベスが呟く。
老人は首を横に振る。
「分からん。」
「少なくとも、私が知るより前からこうだった。」
さらに奥へ進む。
床には大きな円形の紋様が刻まれていた。
その中心へ立った瞬間。
左腕の獣爪が震える。
「……っ。」
淡い銀色の光。
一瞬だけ紋様と呼応する。
老人は静かに目を細めた。
「やはり。」
「何か知っているんですか?」
ベスが尋ねる。
だが老人はすぐには答えなかった。
「今はまだ、話す時ではない。」
「ただ一つだけ言える。」
「お前は、この場所と無関係ではない。」
その言葉が、重く胸へ残った。
さらに奥。
一枚の石碑があった。
古代文字が刻まれている。
ベスには読むことができない。
老人が静かに読み上げる。
「牙は怒りより生まれ。」
「剣は守る想いより生まれる。」
「二つが一つとなる時。」
「白き霧は道を示す。」
ベスは黙って石碑を見る。
「意味は……。」
「まだ分かりません。」
老人は頷く。
「それでいい。」
「答えは、力で掴むものではない。」
「歩いた先で見つけるものだ。」
その時だった。
ゴォン……
神殿全体が僅かに震える。
天井から砂が落ちる。
ベスは反射的に剣へ手を掛けた。
「魔物ですか?」
老人は目を閉じる。
気配を探る。
そして。
表情を変えた。
「違う。」
「これは……。」
神殿のさらに奥。
封じられた扉の向こう。
ドクン。
ドクン。
まるで巨大な何かが眠っているような鼓動が響く。
老人の声が低くなる。
「戻るぞ。」
「今はまだ、近付く時ではない。」
ベスも何かを感じ取り、静かに頷いた。
帰り道。
二人はほとんど言葉を交わさなかった。
山を下りたところで、老人が足を止める。
「ベス。」
「今日見たことは、まだ誰にも話すな。」
「仲間にもですか?」
「ああ。」
「時が来るまで。」
ベスは少し迷った。
だが、老人の真剣な目を見て頷く。
「分かりました。」
その夜。
宿へ戻ったベスは獣爪へ触れる。
外したはずの金属が、僅かに温かい。
まるで。
何かが目覚めるのを待っているように。
「……。」
ベスは何も言わず、布を掛けた。
その頃。
中央島から遠く離れた場所。
濃い霧の中を、一隻の黒い船が進んでいた。
船上には黒い外套を纏った者たち。
その中の一人が、静かに空を見上げる。
「……動き始めたか。」
誰に向けた言葉なのか。
それを知る者はいない。
ただ。
その視線の先には、中央島があった。
そして。
遠い未来で交わる運命を待つように、
静かに夜の海へ消えていった。




