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バル  作者: 隣の猫
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330/431

チョーズン



ヒュッ――


矢を番える音が響く。


アイラは息を呑んだ。


誰もいない。


それなのに。


目の前の弓が、ゆっくりと浮かび上がる。


「……!」


風が集まる。


一本。


また一本。


透明な風が、矢の形を成していく。


その切っ先が向いた先は――


「ベス……!」


放たれる。


ヒュンッ!!


風の矢が一直線に駆け抜ける。


アイラは反射的に背中の弓を掴む。


長い旅を共にした弓。


ずっと自分の隣にあった相棒。


「……行かせない。」


矢を番える。


風を見る。


風の矢は速い。


けれど。


虚無の盟主より遅い。


「……そこ!」


放つ。


ヒュッ!!


二本の矢が交差する。


乾いた音。


風の矢は霧散した。


だが。


終わらない。


ヒュンッ!!


二本目。


三本目。


四本目。


風の弓は、容赦なく矢を放ち続ける。


アイラは息を整える。


一本。


また一本。


風を読み。


矢を放つ。


そのたびに。


手の中の弓が、小さく軋んだ。


ミシ……


その音が、胸に刺さる。


アイラは気付く。


この弓はもう限界だ。


それでも。


止められない。


ベスの元へは、一歩たりとも通さない。


風が唸る。


最後の一本。


今までとは比べものにならないほど濃い風が、一つの矢となる。


アイラは静かに息を吸う。


「お願い。」


それは弓に向けた言葉だった。


それは自分に向けた言葉でもあった。


最後の一矢を番える。


風を見る。


風を読む。


その一本だけが。


ただ一つの答えだった。


放つ。


ヒュンッ!!


二本の矢がぶつかる。


轟音。


風が部屋中を吹き抜ける。


そして。


静寂。


風の矢は消えていた。


アイラは、ほんの一瞬だけ肩の力を抜く。


守れた。


そう思った瞬間。


――プツン。


乾いた音がした。


弦が切れた。


「……っ」


息が詰まる。


手の中の弓が震える。


ミシ……


ミシミシ……


弓幹に亀裂が走る。


長い旅を支えてきた弓。


虚無の使徒の戦いも。


全部、この弓と一緒だった。


アイラは強く握り締める。


離したくない。


まだ一緒にいたい。


それでも。


弓はもう、戦うための形を保てなかった。


「……ごめん。」


小さく、声が漏れる。


「もっと……一緒に戦いたかった。」


その言葉に応えるように。


弓は砕けなかった。


壊れるのではなく。


ほどけていく。


硬い木も、張り詰めた弦も。


すべてが風に戻っていく。


淡い光の粒となって。


アイラの指の間からこぼれ落ちる。


「……ありがとう。」


今度は、はっきりと言えた。


その言葉を最後に。


弓は完全に風へ還った。


静かに。


優しく。


まるで最初からそこに“形”などなかったかのように。


アイラはしばらく動けなかった。


手の中の温もりが消えたあとも。


まだそこに残っている気がして。


胸の奥が、少しだけ痛い。


でも。


それは喪失ではなかった。


一緒に戦い抜いた証だった。


その時だった。


目の前の古代の弓が。


ゆっくりと。


アイラの前へ降りてくる。


今度は。


敵意はない。


風も荒れない。


むしろ。


静かだった風が、そっと寄り添うように流れ始める。


まるで。


「見ていた」と言うように。


「ここまで来たのか」と言うように。


アイラは一歩、近づく。


手が少しだけ震えている。


さっきまでの戦いのせいじゃない。


失ったものの重さのせいでもない。


それでも。


前へ出る。


「……もう一度、行くね。」


誰に向けた言葉か分からない。


でも確かに、そう言った。


指先が弓へ触れる。


その瞬間。


風が変わった。


優しい風ではない。


試すような風でもない。


ただ。


“選ぶ”風だった。


一本の矢が、静かに生まれる。


音もなく。


光もなく。


ただ当然のように。


風そのものが、矢の形を取る。


アイラは目を見開く。


矢は要らない。


そう思っていた。


違う。


この弓は。


矢を作るのではない。


風そのものを“射る形”にする。


アイラはゆっくりと息を吐いた。


そして。


新しい弓を、しっかりと握り直す。


「……行こう。」
























今度は、迷いはなかった。

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