バル
崩れ落ちた地下神殿。
かつて古代の記憶を残していた場所は、今では瓦礫の山と化していた。
砂埃が、まだ空気の中に漂っている。
崩れた石が、時折小さく音を立てて落ちた。
その場に残された灰鷹は、誰一人として無傷ではなかった。
レオンは岩に背を預け、肩で息をしている。
喉が上下するたびに、痛みを堪えるように眉がわずかに歪む。
アイラは痛む腕を押さえたまま、視線だけを周囲へ走らせていた。
リシアは立ち上がろうとして、途中で力が抜け、そのまま膝をつく。
息が浅い。
それでも、目だけは死んでいなかった。
「……まだ、動けない。」
絞り出すような声。
誰もすぐには返さない。
ただ、呼吸の音だけが重なっていた。
その中で。
一人だけ、無理にでも立ち上がろうとする影があった。
「……退け。」
ガルドだった。
足が一度、地面を踏み外す。
それでも踏み直す。
肩がわずかに揺れている。
呼吸が荒い。
それでも視線だけは、瓦礫の奥から外れない。
「団長。」
レオンの声は掠れていた。
「無理だ。」
「ベスを探す。」
即答だった。
間がない。
「団長自身も……」
アイラが言いかけて、言葉を止める。
ガルドの肩が、ほんのわずかに震えていたからだ。
「この瓦礫は……」
「道具もない。」
「人の手では……」
「それでもだ。」
ガルドは一歩踏み出す。
その足が、石に引っかかる。
だが止まらない。
「ベスは生きている。」
その言葉だけが、やけに静かだった。
誰も否定できなかった。
否定する余裕がなかった。
普段のガルドなら、ここで一度立ち止まる。
状況を見て、最も生存率の高い判断を下す。
それができない。
今は。
「……あいつは。」
ガルドの喉が一度詰まる。
「まだ、ここにいる。」
その声は、かすかに割れていた。
「だから。」
「止めるな。」
一歩。
踏み出した瞬間。
膝が落ちる。
崩れるように前へ倒れかけた体を、小さな手が支えた。
「だめ。」
ノアだった。
指先が震えている。
それでも離さない。
「団長さんも、怪我してる。」
ガルドは顔を上げない。
「……離せ。」
「だめ。」
短い言葉。
それだけで、ノアは首を振る。
涙が一粒、落ちる。
そのまま、ガルドの傷へ手を当てた。
光が、かすかに滲む。
強くはない。
それでも、確かに温かい。
ガルドの呼吸が、一瞬だけ乱れる。
ノアは唇を噛んだまま、小さく呟く。
「ベス……」
「きっと帰ってくる。」
その言葉に、ガルドは何も返さない。
ただ、目を閉じた。
その場にいる全員が、同じ方向を見ていた。
瓦礫の奥。
そこにあるはずの“空白”。
誰も声を出さない。
出せない。
その空白の中で。
ベスは見ていた。
暗闇。
崩れた壁の隙間。
そこから漏れる光の向こう。
自分を探している仲間たち。
肩が上下している。
誰かが立ち上がろうとしている。
誰かが止めている。
その全部が、見えた。
胸の奥が、強く締め付けられる。
地下神殿で見たもの。
世界の始まり。
神々の争い。
盟主の言葉。
ユナの言葉。
あまりにも大きすぎるものが、まだ頭の中に残っている。
何を信じるべきか。
分からない。
神は敵なのか。
盟主は何を見ているのか。
ユナは何を託したのか。
答えは、まだ形にならない。
それでも。
視線を落とす。
瓦礫の向こうにいる人たち。
息をしている。
自分を探している。
その事実だけが、はっきりしていた。
ベスは拳を握る。
指に力が入る。
(世界を救うって……)
遠い言葉だった。
神。
歴史。
運命。
全部、自分とは関係ない場所の話だと思っていた。
けれど。
目の前にあるのは違う。
傷だらけで、それでも立とうとしている人たち。
その一人一人を守ること。
それが積み重なれば。
きっと。
ベスは一歩を踏み出す。
砂が靴の下で沈む。
もう一歩。
光の方へ。
瓦礫の影から抜ける。
その瞬間だった。
「……。」
ノアが顔を上げる。
呼吸が止まる。
瞳が揺れる。
「……ベス?」
声が、かすれていた。
全員の動きが止まる。
一斉に振り向く。
砂埃の向こう。
影が、ゆっくりと形を持つ。
一歩。
また一歩。
「……。」
ベスが、そこに立っていた。
誰もすぐに動けない。
息を吸う音だけが重なる。
ノアの目が大きく見開かれる。
次の瞬間。
「ベスーー!!」
崩れるように駆け出す。
小さな体が、迷いなく飛び込む。
ベスは受け止める。
腕の中で、震えが伝わる。
温かい。
確かに、生きている。
「よかった……」
ノアの声は途切れ途切れだった。
「よかった……!」
その声に、空気が少しだけほどける。
レオンが息を吐く。
アイラが目を伏せる。
リシアが、ようやく肩の力を抜く。
誰も大きな言葉は出さない。
ただ、そこにいることを確かめていた。
最後に。
ガルドが歩く。
一歩ずつ。
近づくたびに、足音が重くなる。
止まる。
一瞬。
そして。
ゴン。
拳が落ちる。
「痛っ……」
ベスが頭を押さえる。
ガルドはため息をついた。
「生きているなら。」
「先に言え。」
ベスは少しだけ目を瞬かせる。
そして。
小さく笑った。
「……ごめん。」
「次は気をつける。」
「次がある前提で話すな。」
短い間。
それでも。
ガルドの表情は、ほんのわずかに緩んでいた。
崩れた地下神殿。
失われたものは多い。
まだ、分からないことも多い。
それでも。
ベスは、確かに戻ってきた。
仲間のいる場所へ。




