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バル  作者: 隣の猫
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311/398

ティノン



石碑の光が消える。


封印の間に、重い静寂が落ちた。


誰もすぐには言葉を出せなかった。


先ほど見た光景が、まだ瞼の裏に焼き付いている。




輝く世界。


満ちた光。


そして、その中心に立っていた女性。


ベスはゆっくりと息を吐く。


剣を握る手は、まだ緩まない。




「……」


リシアも、アイラも、ガルドも。


それぞれが視線を落とし、言葉を失っていた。




あれは美しかった。


疑う余地のないほどに。


だからこそ、余計に分からない。


ベスの胸の奥に、重い違和感だけが残る。




「……あの世界が、本当だとしたら」


ベスの声は低かった。


「どうして、今はこうなってる」


その問いは、誰に向けたものでもなかった。


だが、盟主が反応する。


ゆっくりとベスを見る。




「だからだ」


短い言葉。


ベスは眉をひそめる。


「だから?」


盟主は一度、視線を石碑へ戻す。


「戻す必要がある」


「それだけだ」




ベスの目が鋭くなる。


「それだけで、全部壊す理由になるのか」


空気がわずかに張り詰める。


盟主はすぐには答えなかった。


まるで、その問いだけは避けてきたかのように。




「……俺は」


低い声。


「失った」


ベスは動かない。


「全部だ」


「何も残っていない」




その言葉には、怒りも誇張もなかった。


ただ事実だけを並べているようだった。


だからこそ重い。


ベスは一瞬、視線を落とす。


(失った……)


その感覚は、分かる。


自分もそうだった。


だからこそ、ここまで来た。


だが。




だからといって。


「失ったからって」


ベスは顔を上げる。


「今あるものまで、消していい理由にはならない」


盟主の目がわずかに細くなる。


「今あるもの?」


ベスは一歩前に出る。


「この世界だ」


「ここで生きてる人間だ」


「お前が戻そうとしてる“昔”の中に、それはあるのか」




沈黙。


盟主は答えない。


代わりに、ゆっくりと目を閉じる。




燃え落ちる村。


崩れた家。


叫び声。


何も守れなかった少年。


ただ一人。


その場に立ち尽くしていた。


何もかも失った。


その時。


光が差した。


一人の女性。


「……あなたは、一人じゃない」


その言葉だけで、世界が変わった。


盟主は目を開ける。




「俺にとっては」


静かな声。


「それが全てだった」





ベスは息を呑む。


「だから、その“全て”のために」


盟主の周囲に、黒い影が滲む。




空気が歪む。


形を持たない闇が、獣の輪郭を作り始める。


三つの気配。


牙のような圧。


だが、それは暴走ではない。


意志を持っている。


「力が必要だった」




盟主の声は揺れない。


「隣に立つために」


「守るために」




ベスはその闇を見つめる。


(これが……)


(この人の“答え”)


だが同時に、はっきりと分かる。


自分とは違う。


決定的に。


「だから俺は選んだ」


盟主は静かに言う。


「セレネのために」




その言葉に、ベスの表情がわずかに変わる。


「……選んだ?」


「それで、全部正当化できると思ってるのか」


盟主は答えない。


ただ、闇が静かに収束していく。


獣の気配は消え、残るのは沈黙だけ。



「俺は」


盟主が言う。


「戻す」


「失った世界を」




その声には迷いがない。


信念だけがある。


ベスは拳を握る。


(この人は)


(“救い”を見てる)


でも自分は違う。


ベスはゆっくりと息を吐く。


「俺は」


静かに言葉を返す。


「今を見てる」


「失った過去じゃない」


「ここにいる奴らを」


視線が交わる。



同じ“救い”を語っているのに。


見ている方向が違う。


どちらも間違いではない。


だからこそ。


譲れない。


封印の間に、静かな亀裂のような緊張が走る。


二人の間にあるのは、理解ではなく。


















選択だった。

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