アケルナル
北部砦の戦いから三日。
戦いの熱気は去り、砦には静かな時間が戻っていた。
崩れた城壁では職人たちが復旧作業を進め、兵士たちは交代で見張りに立っている。
救護所では、今も負傷者たちの治療が続いていた。
ベスも左肩に包帯を巻いたまま、黙々と木箱を運んでいた。
「あっ、無理しないで!」
リシアが慌てて駆け寄る。
「傷が開いちゃうよ。」
「このくらい平気。」
そう言って笑う。
しかし。
木箱を持ち上げた瞬間、肩へ鋭い痛みが走った。
「っ……。」
表情を変えまいとした。
だが、リシアは見逃さない。
「ほら。」
腕を引かれ、そのまま椅子へ座らされる。
「戦う人は、休むのも仕事。」
「でも……。」
「でもじゃない。」
珍しく強い口調だった。
ベスは少し驚き、それから苦笑する。
「分かった。」
リシアは満足そうに頷いた。
夕方。
砦の外れにある小さな墓地。
北部砦を守り、命を落とした兵士たちの墓標が新しく並べられていた。
ベスは静かに花を供える。
名前も知らない人たち。
それでも。
ここで誰かを守ろうとして戦った命だ。
「……助けられなかった。」
小さな声が漏れる。
もっと早く動けていたら。
もっと強ければ。
そんな考えが胸を締め付ける。
「その考え方は危険だ。」
後ろから声がした。
振り返る。
あの不思議な老人だった。
「すべてを救える人間はいない。」
ベスは墓標を見つめたまま答える。
「分かっています。」
「でも。」
「もっと救えるようになりたい。」
老人は静かに頷いた。
「それでいい。」
「だが、自分を責め続けるな。」
「死者は、お前の鎖になるために命を懸けたわけではない。」
風が吹く。
供えられた花が静かに揺れる。
「彼らは、お前に前へ進んでほしいはずだ。」
その言葉は、ベスの胸へ静かに落ちていった。
その夜。
ガルドは鍛冶場を訪れていた。
炉の前には、あの老鍛冶師が立っている。
「珍しいな。」
「団長が武器を頼みに来るとは。」
ガルドは一本の剣を差し出す。
ベスの剣だった。
刃には細かな欠けが増えている。
鍛冶師は苦笑した。
「酷使しすぎだ。」
「まだ若い剣だな。」
火花が散る。
「持ち主と同じだ。」
「傷を負いながら、それでも前へ進む。」
熱された刃が炎へ沈む。
再び。
鍛冶場へ金属音が響き始めた。
翌朝。
ベスは訓練場で木剣を振っていた。
そこへ老人が歩み寄る。
「今日は剣を置け。」
「え?」
「左腕だけで戦ってみろ。」
ベスは戸惑う。
だが言われた通り、右手の剣を地面へ置いた。
左腕の獣爪を構える。
「来い。」
老人は素手のまま立っている。
「本気で。」
ベスは踏み込む。
低い姿勢。
鋭い動き。
獣そのもののような攻撃。
だが。
老人はわずかに身体を傾けるだけで避ける。
速い。
いや。
無駄がない。
何度攻めても届かない。
「まだ!」
最後の一撃。
獣爪を振り抜く。
老人はその腕を軽く掴む。
勢いを利用し、ベスの身体を地面へ転がした。
「うわっ!」
砂埃が舞う。
「なぜ負けた?」
老人が尋ねる。
ベスは息を整えながら答えた。
「……力みました。」
老人は首を振る。
「違う。」
「お前は左腕を武器だと思っている。」
ベスは目を瞬かせる。
「武器じゃないんですか?」
老人は自分の手を見る。
「これは武器か?」
「……手です。」
「そうだ。」
老人は微笑む。
「剣も爪も、お前の身体の一部だ。」
「別々に考えるから、動きが途切れる。」
その言葉に。
ベスの中で小さな何かが繋がった。
右手。
左腕。
別々ではない。
一つの身体。
まだ完全には分からない。
でも。
確かに何かが変わり始めていた。
「もう一度。」
ベスは静かに立ち上がった。
少し離れた場所。
レオンとアイラが、その稽古を見ていた。
「また強くなるな。」
レオンが笑う。
アイラも頷く。
「うん。」
「でも、本人はまだ気付いてない。」
朝日が訓練場を照らす。
ベスは何度も立ち上がる。
倒されても。
また立つ。
その姿を見て、ガルドは静かに呟いた。
「いい。」
「その泥臭さを忘れるな。」
「それがお前だけの強さになる。」
その頃。
中央島の地下深く。
誰も足を踏み入れない封印の間。
静寂の中で、一つの古い石碑へ細い亀裂が走った。
ピシ……。
小さな音。
だが。
その音は確かに、
長い眠りの終わりを告げていた。
誰もまだ知らない。
その変化が、
やがて世界全体を揺るがすことを。




