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バル  作者: 隣の猫
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303/397

ヴィアセル



リシアが吹き飛ばされた。


石床を削りながら滑っていくその姿を見ても、ガルドはすぐには動かなかった。


ただ、静かに剣を握り直す。


指先に力を込めるたび、掌に残る痛みが鈍く脈打つ。


目の前には盟主。


その奥には、


傷付いた仲間たち。




ガルドは一瞬だけ、


右奥を見る。


そこには、


盟主へ向かおうとするベスの姿があった。


「……。」


小さく口元が緩む。


「弟子に心配されるとは。」


「俺もまだまだか。」




次の瞬間。


視線は仲間たちへ向く。


レオン。


アイラ。


リシア。


誰一人、


守り切れなかった。


守ると誓ったはずの背中が、今はただ無様に並んでいる。




クロムの顔が思い浮かぶ。


地下神殿の冷たい空気。


仮面の半分を渡された時の、あの重い手の感触。


最後に交わした言葉が、


胸の奥で蘇る。




『次は守ってやれ。』




クロムの願い。


部下としてではない。


一人の男として託された約束。


守れなかった約束。


破ったままの誓い。




「……。」


ガルドは静かに目を閉じる。


「破ってしまったな。」




その瞬間だった。


身体の内側で、何かが軋んだ。


最初に変わったのは、力の流れだった。


人の身体を巡っていた熱が、ふっと途切れる。


代わりに、冷えたものが骨の隙間へ染み込んでくる。


灰色の霧が、皮膚の下から滲み出すように揺れた。


だがそれは、まだ完全な亡霊ではない。


ベスの魔を払う光が、ガルドの全身を縛っていた。


蒼白い光が、仮面の制御のように輪郭を保たせる。


人の形を残そうとする光。


亡霊へ崩れようとする霧。


その二つが、身体の内側でせめぎ合っていた。




蒼白い光は、守っているようで、同時に壊していた。


骨の奥まで染み込み、


亡霊の力を押さえ込み、


無理やり人の形へ縫い留める。


そのせいで、霧はまとまらない。


腕の輪郭がぶれる。


指先が透ける。


肩から先が、現実と影の境目で何度も揺らいだ。


まるで肉体そのものが、


この場に留まることを拒んでいるようだった。


だが、留まれないのではない。


留まっていては、届かないのだ。




この力では、


守れなかった。


剣を振るうたびに、光が邪魔をする。


踏み込むたびに、亡霊の力が鈍る。


守るための力が、守るための一歩を阻む。


人のままでは、もう間に合わない。




もう。


同じ後悔は繰り返さない。




ガルドは静かに息を吐く。


その吐息すら、白くも黒くもなく、薄い灰となって散った。


「クロム。」


「俺は。」


「まだ終われん。」




その言葉を境に、


身体の内側で何かが決壊した。


蒼白い光が、ひび割れる。


最初は細い亀裂だった。


だが一度割れ始めれば、止まらない。


光は、守るための殻だった。


その殻が砕けるたび、


押さえ込まれていた灰色の霧が、


隙間から噴き上がる。


皮膚の表面を這っていた輪郭が崩れ、


肉の重みが抜け落ちていく。


腕が細くなるのではない。


腕という概念そのものが、影へと溶けていく。


肩、胸、脚。


人の形を保っていたものが、


一枚ずつ剥がされるように薄れていく。




蒼白い光が最後まで抵抗する。


だが、もう遅い。


光は砕けるたびに弱まり、


その裂け目へ霧が侵食していく。


光が崩れる。


霧が満ちる。


その対比は、あまりにもはっきりしていた。


守ろうとする光が先に壊れ、


壊れた場所から亡霊の霧が染み出す。


まるで、今まで人として保っていたものが、


内側から静かに食われていくようだった。




目の奥が暗く沈む。


視界の端が白く焼ける。


それでも意識は途切れない。


理性も、記憶も、誓いも、


まだここにある。


あるからこそ、


変わる。




蒼白い光を押し返し、


灰色の霧が静かに全身を包み始めた。


だがそれは、もはやただの霧ではない。


人の温度を失った冷気。


生者の輪郭を拒む死の気配。


鎧の隙間から漏れ出すように立ち上るそれは、


まるでガルド自身が、


この世の理から一歩外へ踏み出していくようだった。


頬の肉が薄くなる。


瞳の奥が深く沈む。


呼吸の音が消える。


心臓の鼓動だけが、遠く、鈍く、まだ残っている。


そしてその鼓動さえも、


次第に亡霊の静寂へ飲み込まれていった。




意識はある。


理性もある。


だが。


もう、


人ではない。




完全な亡霊。




ガルドは静かに剣を構える。


その姿は、もはや人のそれではなかった。


肉体は薄く、影は濃く、


立っているだけで周囲の空気が冷えていく。


それでも、


その瞳だけは、


最後まで変わらなかった。


約束を破った男の目ではない。


守れなかった悔恨を、


今ここで踏み潰すと決めた男の目だった。




そして。


盟主へ向かって、


一歩踏み出した。


その一歩は軽い。


だが重い。


床を踏む音は小さいのに、


地下神殿全体がその一歩で軋んだように感じられた。


もう迷いはない。


もう戻らない。


人として守れなかったものを、


亡霊として守り抜く。


そのために、


ガルドは完全な亡霊となって、




























盟主へ迫った。

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