リゲル
炎が夜空を赤く染めていた。
家が崩れる音。
泣き叫ぶ子どもの声。
焼け焦げた木の匂いが、風に乗って流れてくる。
ベスは母に手を引かれ、村外れの森へ向かって必死に走っていた。
「母さん……父さんが……!」
「振り返っちゃ駄目!」
母の声は強かった。
だが、その手は震えていた。
どれほど気丈に振る舞っていても、夫を失った悲しみは隠せない。
それでも彼女は母だった。
最後まで息子を守ろうとしていた。
森へ入る直前。
地面が大きく揺れた。
ズンッ。
木々の向こうから、巨大な影が現れる。
それは先ほどの魔物よりもさらに大きかった。
全身を黒い甲殻に覆われた異形。
六本の脚。
四本の腕。
顔には目がなく、裂けた口だけが不気味に笑っている。
「上位種……。」
母の顔から血の気が引いた。
村を襲っていた魔物とは格が違う。
これほどの存在が辺境に現れるなど、本来あり得ない。
魔物はゆっくりと二人へ近づく。
一歩。
また一歩。
それだけで地面が揺れる。
母はベスを背中へ隠した。
「お願い……。」
「この子だけは……。」
祈りだった。
神へ向けた、最後の祈り。
しかし空は沈黙したまま。
奇跡は起きない。
魔物の腕が振り上げられる。
その瞬間。
母はベスを思い切り突き飛ばした。
「生きなさい!」
鈍い衝撃音が森へ響く。
ベスは地面を転がり、顔を上げた。
そこには。
母の身体を貫く、巨大な爪があった。
「……母さん?」
時間が止まったようだった。
母は苦しそうに息をしながらも、最後まで笑おうとしていた。
「泣かないで……。」
「あなたは……優しい子だから……。」
「憎しみに……負けちゃ……だめ……。」
その言葉を最後に、母の瞳から光が消えた。
「いやあああああああっ!!」
ベスの叫びが夜空を裂く。
魔物は興味を失ったように背を向ける。
少年など、生かしておいても脅威ではない。
そう判断したのだろう。
だが、その判断が世界の運命を変える。
ベスは震える足で立ち上がる。
涙で前は見えない。
それでも空を見上げた。
星々が静かに輝いている。
まるで何事もなかったかのように。
「神様……。」
小さな声だった。
「聞こえてるんだろ。」
返事はない。
「父さんは、人を守るために戦った。」
「母さんは、俺を守って死んだ。」
「なのに……。」
拳から血がにじむ。
「なんで誰も助けてくれなかった。」
風だけが吹き抜ける。
「もう祈らない。」
涙をぬぐう。
「神なんて信じない。」
ベスは首にかけられた銀の首飾りを強く握り締めた。
その冷たさだけが、今は現実だった。
「俺は強くなる。」
「どんな苦しみも耐える。」
「どんな敵にも負けない。」
「そして――。」
少年の瞳から涙が消える。
代わりに宿ったのは、燃え尽きることのない憎しみだった。
「必ず、お前たち神々を、この手で殺す。」
その誓いと同時に、首飾りが一瞬だけ淡く輝いた。
だが、ベスは気づかない。
遠く、雲の上から。
一柱の神が、その光を静かに見つめていたことを。
その神は何も語らず、ただ悲しそうに目を閉じる。
世界はまだ、誰も知らない。
一人の少年の誓いが、、、。
神々と人類、そして星そのものの運命を変える始まりだったことを。




