オルフェリス
黒い影が床を走る。
槍。
剣。
鎖。
斧。
盟主は一歩も動かない。
ただ右手が静かに揺れるだけ。
それだけで、封印の間は死地へ変わっていた。
「ベス!」
レオンが叫ぶ。
黒い槍が一直線に走る。
ベスが剣を構えるより早く、
大剣が横から叩き込まれた。
ガギィィン!!
火花が散る。
槍が砕ける。
その隙に、ベスは一歩踏み出した。
だが、踏み込んだ瞬間に胸の奥が冷える。
まだ足りない。
まだ、遠い。
次の瞬間。
別方向から黒い鎖。
「っ!」
銀色の前脚が受け止める。
ドォン!!
地下神殿が震えた。
ベスは歯を食いしばる。
今の一瞬で、ほんの少しだけ距離を詰めたはずなのに、それでも盟主は遠い。
遠すぎる。
ヒュンッ!!
アイラの矢。
風読み。
黒い影の流れを読む。
一本。
二本。
三本。
影の軌道が僅かに逸れる。
「今!」
アイラの声が鋭く響く。
その声に、ベスの身体が反射のように動いた。
リシアが飛び込む。
白銀の加護。
細身の剣が黒い刃を受け流す。
キィィィン!!
「通します!」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
道が開く。
ベスはその隙を逃さない。
逃せない。
ガルドが踏み込む。
灰色の霧。
影だけを断つ。
クロムとの戦いで掴んだ感覚。
キィィン!!
伸びた影が霧散する。
「行け。」
短い一言。
その声が、ベスの背中を押した。
ベスは走る。
初めて。
盟主へ向かって。
銀色の前脚が地面を蹴る。
剣が走る。
ガギィィン!!
届かない。
黒い影が剣を受け止める。
ベスの目が見開かれる。
今のは、届いたはずだった。
それでも、刃は盟主に触れない。
すぐに後ろへ跳ぶ。
今度は横。
さらに上。
何度踏み込んでも、
何度角度を変えても、
黒い影だけが立ちはだかった。
「まだ!」
ベスが吐き捨てるように叫ぶ。
銀色の前脚。
剣。
同時。
それでも。
届かない。
届きそうで、届かない。
あと半歩。
あと一瞬。
その半歩が、どうしても埋まらない。
盟主はなお一歩も動かない。
右手だけ。
影だけ。
それだけで、
ベスの剣はすべて止められる。
「ベス!」
レオンが再び割って入る。
ガギィィン!!
黒い斧を受け止める。
腕が震える。
それでも押し返す。
ベスへ向かう影を、無理やりねじ伏せるように。
アイラの矢が飛ぶ。
リシアの剣が繋ぐ。
ガルドが影を断つ。
全員が、
ベスだけを前へ送るために戦っていた。
だが、ベスには分かっていた。
このままでは駄目だ。
守られているだけでは、盟主には届かない。
攻めなければ。
突破しなければ。
ベスは大きく息を吐く。
胸が苦しい。
焦りが、喉の奥までせり上がってくる。
届かない。
このままでは、何度繰り返しても同じだ。
銀色の前脚へ視線を落とす。
フェンリル。
静かに脈打つ左腕。
ガルドとの模擬戦。
あの日、最後まで形にならなかったもの。
その断片が、頭の奥で鈍く光る。
まだだ。
まだ足りない。
だが、何かが見えかけている。
ほんの少しだけ。
「……。」
ベスは左腕を強く握る。
指先に力を込める。
まだだ。
もう少し。
あと少しだけ。
届かないまま終わるわけにはいかない。
盟主は静かにベスを見つめている。
その視線は一度も揺れない。
黒い影だけが、
再び床を這い始めた。




