ルグナ
四人は、ベスと虚無の盟主の戦いを見ていた。
だが。
誰も。
すぐには動けなかった。
ベスが一歩踏み込んだ瞬間、盟主の足元から黒い筋が床を走り、次の瞬間には槍の穂先になってベスの脇腹を狙う。ベスがそれを弾くと、黒い筋はそのままほどけ、今度は剣の刃になって横から振り抜かれた。
攻撃が終わったと思った場所には、もう次の一撃が生まれている。
「……。」
レオンは大剣を握る。
助けに入りたい。
だが。
入れない。
ベスの周囲では、床に落ちた黒い筋が何本も伸び、槍になり、剣になり、斧の刃になって石床を削っていた。踏み込めば、その黒い筋が足首を払う。避ければ、別の筋が背後から跳ね上がる。
近付けば、自分も。ベスも。巻き込まれる。
「何だ……あれ。」
レオンが呟く。
答えられる者はいなかった。
アイラは目を細める。
見る。
追う。
風を読む。
だが。
分からない。
盟主の肩が沈むより先に、床の黒い筋が伸びる。腕が振られるより先に、刃の形が固まる。石床を蹴る音も、衣が擦れる音も、次の一撃の合図にはならなかった。
「踏み込みの前に、もう刃が出ている……。」
アイラが小さく呟く。
「読めない……。」
リシアも剣を握ったまま、静かに見つめていた。
ベスは防いでいる。
避けている。
耐えている。
でも。
攻められない。
ベスが剣を振り上げるたび、黒い筋がその軌道を塞ぐ。前へ出ようとした足元には、別の筋が走っていた。
あれほど成長したベスが。
一歩も前へ出られない。
その事実だけが、重く伝わってくる。
その時。
ガルドの表情が変わった。
石床を削る音。
刃が返る角度。
踏み込みの幅。
その一つ一つが、クロムと同じ…。
ガルドの脳裏に、黒い靄をまとった剣士の姿が浮かぶ。
盟主が腕を振るたび、床に細い黒い筋が走り、次の瞬間には剣の刃や槍の穂先の形に固まっていた。
「……。」
違う。
完全に同じではない。
だが。
根にあるものは同じだった。
「影だ。」
小さな声。
しかし。
三人には届いた。
レオンが振り返る。
「影?」
ガルドは目を逸らさない。
「武器じゃない。」
「床に落ちた黒い筋を、刃や槍の形に固めて振っている。」
その言葉で、全員が再び見る。
今まで理解できなかった動き。
その正体。
床を這っていた黒い筋が、盟主の腕の動きに合わせて槍の穂先になり、剣の刃になり、鞭のようにしなっていた。
ベスへ迫る攻撃。
その全てが、床を走る黒い筋から生まれている。
盟主の足元から伸びたそれは、石床を覆うように広がり、ベスの周囲を円を描くように塞いでいた。
「なら。」
アイラは静かに弓を構えた。
「狙う場所は。」
身体ではない。
武器でもない。
力の中心。
仮面。
アイラは目を閉じる。
呼吸を整える。
風。
空気。
僅かな揺らぎ。
全てを拾う。
風読み。
極限まで研ぎ澄まされた集中。
耳に入る石床を踏む音、衣が擦れる音、矢羽が震える音が消え、視界の端が白く滲んでいく。
その代償。
目元へ痛みが走る。
視界が揺れる。
赤い線が頬を伝う。
それでも。
弓は下ろさない。
見える。
盟主の仮面の前で、空気が一瞬押し潰される。床を走る黒い筋が伸びるより先に、そこだけがわずかに歪む。
アイラは一本の矢を番える。
レオンが動く。
ベスへ向かう黒い刃の先を、大剣で横から叩き落とす。
リシアも続く。
細身の剣で黒い刃の腹を弾き、ベスの肩口へ向かっていた一撃を外へ流す。
ガルドは動きを読む。
床を離れる瞬間。
黒い筋が次の形へ固まる瞬間。
そのわずかな間を見ていた。
作った隙。
ほんの僅か。
それで十分だった。
アイラは弦を引き絞る。
ヒュンッ!!
矢が放たれる。
一直線。
迷いなく。
黒い筋の間を縫って飛ぶ。
矢は、虚無の盟主へ迫った。




