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バル  作者: 隣の猫
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エルファリス



重い石扉が、


軋むような低い音を引きずりながら、


最後までゆっくりと開き切った。


ゴゴゴ……


その音はすぐに遠のいたのに、


耳の奥だけにいつまでも残り続ける。


扉の向こうから流れ出したのは、


冷たい、という言葉では足りない空気だった。


肌に触れた瞬間、


体温を奪うのではなく、


体の内側へまで染み込んでくるような冷気。


足元を這う黒い霧は、


音もなく広がり、


まるで生き物のように石床の隙間へ入り込んでいく。


誰も言葉を発しなかった。


発したくても、


喉の奥がひどく乾いていた。




ガルドが一歩踏み出す。


その一歩は、


広間に吸い込まれるように小さく響いた。


その背中を追うように、


灰鷹も静かに扉をくぐる。


足音だけが、


やけに大きく聞こえた。


コツ……


コツ……


コツ……


それ以外の音が、


何ひとつない。


呼吸さえ、


この空間では許されていないようだった。




広い。


あまりにも広かった。


黒い石で造られた巨大な空間。


見上げても果ての見えない天井。


幾百本もの石柱が規則正しく並び、


その一本一本へ古代文字が刻まれている。


だが、


そこには長い年月の荒れも、


崩壊の痕もなかった。


埃ひとつ積もっていない。


ひび割れひとつない。


まるで、


この場所だけが時間の流れから切り離されているようだった。


生きている空間ではない。


眠っている空間でもない。


ただ、


何かを閉じ込めたまま、


ずっと息を潜めていた場所。


そんな印象だけが、


重く胸に残る。




静かだった。


風もない。


水滴の音もない。


魔物の気配もない。


それなのに、


静けさは安らぎではなかった。


耳が痛くなるほどの無音。


音が消えているのではない。


音そのものが、


この場所に触れた瞬間に押し潰されているようだった。


地下深くとは思えないほど澄んだ静寂が、


逆に不気味だった。


冷え切った空気の中で、


誰もが自分の呼吸を意識してしまう。


吸うたびに肺が痛む。


吐くたびに、


白くもならない息が、


すぐに闇へ溶けていく。




その時だった。


レオンの足が止まる。


アイラの瞳が細くなる。


リシアも静かに息を呑んだ。


全員の視線が、


同じ場所へ向く。


見てはいけないものを見てしまったような、


そんな沈黙が一瞬だけ落ちる。




広間の最奥。


巨大な階段。


その上。


そこに立つ影は、


人の形をしているはずなのに、


どこか輪郭が曖昧だった。


近付くほどに、


空気が冷えていく。


いや、


冷えているのではない。


温度そのものが、


その影の周囲で削り取られているようだった。


肌を撫でるはずの冷気が、


いつの間にか刺すような痛みに変わっていた。


黒い外套は、


布というより闇そのものが垂れ下がっているようで、


光を受けても一切揺らがない。


仮面は白でも黒でもなく、


ただ空洞のようにそこにあり、


顔という概念だけを拒んでいるように見えた。


見つめていると、


視線の置き場を失う。


目を向けているはずなのに、


どこを見ているのか分からなくなる。




一人。


二人。


三人。


いや、


もっと。


階段の左右、


柱の影、


壁際の暗がり。


そこに並ぶものたちは、


最初からそこにいたのか、


今まさに闇から滲み出たのか、


見分けがつかなかった。


気配だけが増えていく。


数が増えるたび、


広間の空気はさらに重くなる。


まるで、


見えない手で喉元を押さえつけられているようだった。




黒い外套。


黒い仮面。


腰に下がる短剣は、


武器というより、


儀式のための器具のように静かだった。


誰一人として動かない。


誰一人として声も出さない。


だが、


その沈黙は静けさではなかった。


沈黙そのものが圧力になって、


こちらへじわじわと押し寄せてくる。


耳が痛くなるほどの無音。


さっきまで確かにあった足音も、


呼吸の気配も、


この場所へ踏み込んだ瞬間に吸い取られたように消えていた。


まるで、


音そのものが拒絶されているようだった。


視線だけが残る。


無数の仮面の奥から、


見えない目がこちらを刺してくる。




その中央。


一段高い場所。


一人だけ、


他とは明らかに異なる気配を纏う影が立っていた。


黒い外套。


黒い仮面。


左腕を覆う黒いガントレット。


だがそれは、


ただの装備ではなかった。


そこだけが、


周囲の闇よりさらに深く、


さらに重く、


まるで空間そのものを歪めているように見えた。


視線を向けた瞬間、


輪郭が僅かに揺らぐ。


見えているはずなのに、


見えていない。


目を凝らすほど、


その姿は遠ざかっていく。


まるで、


こちらの視線を拒むように。


まるで、


見た者の認識そのものを削っていくように。




その影の周囲だけ、


空気の流れが死んでいた。


冷え切ったはずの広間で、


そこだけはさらに温度が落ちている。


息を吸うたび、


肺の奥まで冷たさが入り込むようだった。


石柱の模様も、


階段の縁も、


その周囲に近付くほど滲んで見える。


視界が、


わずかに歪んでいる。


目の前の空間が、


静かに圧し潰されているようだった。


音も、温度も、距離感さえも、


あの影の周囲では正しく保てない。




その姿は、


人の形をしているのに、


人ではない何かを思わせた。


立っているだけで、


空気が沈む。


視線を向けただけで、


背筋の奥が冷える。


そこにあるのは存在感ではない。


存在そのものが、


周囲を押し潰しているようだった。


見つめれば見つめるほど、


こちらの方が先に壊れてしまいそうな、


そんな圧だけがあった。




ベスは思わず息を止める。


理由は分からない。


顔も見えない。


何も知らない。


それなのに。


目を逸らせなかった。


視線を外した瞬間、


何か大切なものを見失ってしまう気がした。


あるいは、


見返されることを本能が拒んでいたのかもしれない。




黒い影は、


微動だにしない。


ただ静かに、


灰鷹が来るのを、


ずっと前から知っていたかのように立ち尽くしていた。


そして次の瞬間、


その仮面の奥で、























何かがこちらを見返した。

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