ヴァルネ
静寂。
倒れたクロムの前に、
灰色の亡霊は立っていた。
剣を握ったまま。
そこに感情はない。
勝利の喜びも。
悲しみも。
ただ。
消すべき存在が消えた。
それだけだった。
その時。
倒れていたクロムの指が僅かに動く。
黒い霧が消えていく。
割れた仮面の奥。
そこにあった瞳の色が、
少しずつ戻っていく。
「……。」
灰色の亡霊が剣を向ける。
まだ敵として認識している。
クロムはゆっくりと身体を起こした。
ふらつきながら。
それでも。
一歩。
また一歩。
灰色の亡霊へ近付いていく。
剣が動く。
灰色の刃がクロムへ向かう。
避ければいい。
防げばいい。
しかし。
クロムは動かなかった。
そのまま。
胸へ刃が届く。
灰色の亡霊は剣を押し込む。
だが。
クロムは倒れない。
震える手で、
自分の顔を覆う半分に割れた仮面を外す。
そして。
ゆっくりと。
灰色の亡霊へ近付ける。
「……。」
声が漏れる。
今までとは違う。
虚無の使徒の声ではない。
二十年前。
ガルドが知っていた声。
「……隊長。」
その一言で。
灰色の亡霊の動きが止まった。
クロムは小さく笑う。
「頼み事がある時しか。」
「この呼び方はしなかっただろ。」
声に僅かな温度が戻っている。
ガルドの記憶に残るクロム。
二十年前の部下。
そして。
剣を競い合った相手。
クロムは割れた仮面を、
ガルドへ押し当てる。
瞬間。
白と黒の力がぶつかる。
灰色の霧が大きく揺れる。
「戻れ。」
その言葉に。
灰色の亡霊が震えた。
消えていた意識の奥。
深い場所。
そこに残っていたものが、
ゆっくりと浮かび上がる。
ベス。
レオン。
アイラ。
リシア。
ノア。
灰鷹の仲間たち。
守りたかったもの。
その想い。
灰色の霧が静かに薄れていく。
ガルドの瞳へ光が戻る。
「……。」
自分の手を見る。
剣。
血。
そして。
目の前で自分を支えるクロム。
「クロム……。」
その声を聞いて、
クロムは小さく笑った。
「やっと戻ったか。」
ガルドは息を呑む。
「なぜ……。」
クロムは首を横へ振る。
「時間がない。」
「聞け。」
半分に割れた仮面。
その一部をガルドへ渡す。
「これを付けろ。」
「灰色の亡霊を抑えられる。」
「完全じゃない。」
「だが、お前なら使える。」
ガルドは仮面を見る。
黒い外見。
虚無の使徒に似た形。
それでも。
クロムが残したものだった。
「隊長。」
もう一度。
クロムはそう呼ぶ。
「今度は。」
「みんなを守ってやれ。」
ガルドの手が震える。
クロムは静かに笑う。
「止めてくれて。」
「ありがとう。」
その言葉を最後に。
クロムの身体が光へ変わる。
黒い霧も。
虚無の力も。
全て消えていく。
残ったのは。
半分に割れた仮面だけだった。
しばらく。
ガルドは動かなかった。
二十年前から続いていたもの。
失った仲間。
背負い続けた後悔。
その全てに、
ようやく終わりが訪れた。
「……まったく。」
突然。
頭の上から声がした。
ガルドが顔を上げる。
いつの間にか。
灰猫がそこにいた。
いつもの場所。
頭の上。
「行ったと思わせておいて戻るとは。」
「面倒な奴じゃ。」
ガルドは小さく息を吐く。
「お前……。」
灰猫は欠伸をする。
「歩くのは疲れるからの。」
「ここが一番楽じゃ。」
ガルドは静かに前を見る。
神殿の奥。
まだ終わっていない。
だが。
もう一人ではない。
「行くぞ。」
灰猫が尻尾を揺らす。
「うむ。」
二人は並んで、
神殿の奥へ歩き始めた。
灰鷹の団長として。
新たな一歩を踏み出すために。




