ラティ
第二百六十章
灰色の霧が揺れる。
ガルドは立っていた。
ただ、それだけだった。
しかし。
その姿は先ほどまでとは完全に違っていた。
足元に広がる灰色の霧。
握られた剣から漏れ出す淡い光。
静かに向けられた灰色の瞳。
そこにいるのは、
灰鷹の団長ガルドでありながら、
人の領域を越えた存在だった。
クロムの影が動く。
無数の黒い影が、
床。
壁。
天井。
あらゆる場所から伸びてくる。
逃げ場はない。
普通なら。
だが。
ガルドは一歩踏み出した。
それだけだった。
次の瞬間。
世界が置き去りになる。
灰色の残像。
影の間を抜ける。
一本。
二本。
十本。
迫る黒い刃を、
全て紙一重で躱していく。
クロムが初めて僅かに動きを変える。
影ではなく、
自らが前へ出た。
黒い刃。
灰色の剣。
激突。
地下神殿全体へ衝撃音が響き渡る。
一度。
二度。
三度。
剣が交わるたび、
空気が弾ける。
床へ衝撃が伝わる。
ガルドの剣が押し込む。
今までなら、
受け流されていた一撃。
だが。
今は違う。
灰色の霧が刃へ集まり、
剣そのものの重さを増していく。
クロムの影が歪む。
初めて。
正面から押された。
クロムは距離を取る。
その瞬間。
影が一斉に広がった。
数え切れない黒い腕。
無数の刃。
全方向から迫る。
ガルドは剣を構える。
そして。
振る。
一閃。
灰色の剣圧が地下神殿を走った。
黒い影がまとめて切り裂かれる。
消える。
しかし。
すぐに新たな影が生まれる。
終わりがない。
ガルドの呼吸が僅かに乱れる。
灰色の霧が濃くなる。
力は増している。
反応も。
速度も。
膂力も。
全てが人の限界を越えている。
それでも。
その力を使うほど。
内側へ何かが沈んでいく。
感情。
記憶。
人としての感覚。
少しずつ。
少しずつ。
クロムは静かに見ていた。
影の奥から、
ガルドを観察している。
そして。
初めて言葉を発した。
「……近い。」
ガルドの足が止まる。
「……。」
何のことか。
考える前に。
黒い影が爆発的に広がった。
地下神殿が低く唸る。
影が柱を覆う。
灰色の霧が押し返す。
二つの力がぶつかり合う。
黒。
灰。
互いに譲らない。
ガルドは剣を握り直す。
まだ意識はある。
まだ自分はここにいる。
ベスを。
仲間を。
守るという意思は残っている。
だが。
灰色の霧は静かに囁く。
もっと。
もっと力を。
灰猫がいない。
抑える者はいない。
ガルド自身が受け入れた力。
だからこそ。
その境界は、
少しずつ曖昧になっていた。
クロムの影が一つに集まる。
ガルドもまた剣を構える。
次の一撃。
それが、
人として戦える最後の一撃になるかもしれなかった。




