アルカディア
……ポタリ。
どこか遠くで、水滴が落ちる音が響く。
冷たい空気。
湿った石の匂い。
崩れた神殿の奥深くで、ゆっくりと一人の男が目を開いた。
「……。」
ガルドだった。
ぼやけた視界の先には、崩れ落ちた黒い天井。
砕け散った石柱。
舞い続ける砂埃。
身体を起こそうとした瞬間、全身へ鈍い痛みが走る。
「ぐっ……。」
肩。
腕。
脇腹。
まともな場所が一つもない。
神殿崩壊の衝撃が、どれほど凄まじかったかを物語っていた。
それでもガルドは慌てない。
深く息を吸い、ゆっくりと身体を起こす。
「生きているか。」
誰へともなく呟く。
その声は静かな地下神殿へ吸い込まれていった。
「まだ寝ておればよいものを。」
少し離れた瓦礫の上から、気だるそうな声が返ってくる。
ガルドが顔を向ける。
灰猫だった。
丸くなっていた身体を少しだけ起こし、面倒そうに片目だけを開けている。
「……そこにいたのか。」
「起きるまでは見ておらんと面倒じゃからの。」
灰猫は欠伸を一つすると、軽やかに瓦礫から飛び降りた。
トン。
トン。
ゆっくりと歩いてきて、最後は当然のようにガルドの肩を経由し、そのまま頭の上へ飛び乗る。
「ここが一番楽じゃ。」
「歩くのは疲れる。」
ガルドは小さく苦笑した。
「相変わらずだな。」
灰猫は返事の代わりに尻尾を一度だけ揺らした。
それが、この猫なりの返事だった。
ガルドは静かに立ち上がる。
少し離れた場所へ突き刺さっていた剣を拾い上げ、刃を確かめる。
欠けてはいない。
腰へ戻す。
砕けた肩当てを締め直し、裂けた外套を整える。
いつものように。
何事もなかったかのように。
一つ一つ装備を整えていく。
それが戦士としての習慣だった。
装備を整え終えたガルドは、崩れた地下神殿を見渡した。
無数の通路。
砕けた岩盤。
どこにも人影はない。
「……ベス。」
返事はない。
「レオン。」
静寂。
「アイラ。」
「リシア。」
「ノア。」
誰一人として姿は見えなかった。
そして。
ガルドは小さく目を閉じる。
灰鷹には、あの四人だけではない。
共に旅を続けてきた団員たちもいる。
「全員……無事でいてくれ。」
それは団長としての、偽りのない願いだった。
誰か一人でも欠けることは許したくない。
それが灰鷹を率いる者の責任だった。
灰猫が静かに口を開く。
「散り散りじゃ。」
「皆、生きてはおる。」
「じゃが、どこへ落ちたかまでは分からん。」
ガルドは静かに頷いた。
「なら探す。」
それだけだった。
迷いはない。
仲間が生きている限り、自分は歩き続ける。
それが団長の役目だった。
ガルドは静かに歩き始める。
黒い石で造られた地下神殿。
崩れた柱の隙間から冷たい風が吹き抜ける。
足音だけが静かに反響する。
頭の上では灰猫が丸くなり、小さく呟いた。
「……面倒な旅は、まだ終わらんようじゃ。」
ガルドは前だけを見たまま、小さく答える。
「ああ。」
「全員を連れて帰る。」
団長のその一言だけが、静かな地下神殿へ力強く響いた。




