21
朝霧に包まれた港町。
潮の香りが風に乗り、帆船の帆がゆっくりと揺れていた。
ベスは生まれて初めて見る海に、思わず足を止める。
「……大きい。」
村を囲む山しか知らなかった少年の瞳に、どこまでも続く青が映る。
ボルグが豪快に笑った。
「ははっ! その顔、俺も初めて海を見た時と同じだ!」
「落ちるなよ?」
「まだ乗ってもいないだろ。」
ベスが苦笑すると、周囲から笑いが起こった。
その笑顔を見て、ガルドは静かに頷く。
旅は、人を変える。
ベスはもう、一人で怒りだけを抱えていた少年ではなかった。
港には各地から集まった傭兵や騎士たちがあふれていた。
鎧の紋章。
使う武器。
全てが違う。
四つの大陸。
それぞれの文化が、この港へ集まっている。
「すごい人数だ……。」
ベスが辺りを見回していると、
背後から大きな声が響いた。
「団長!」
振り返る。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。
黒髪。
鋭い目つき。
肩へ担いでいるのは、巨大な大剣。
細身の剣士とは違う。
その姿だけで分かる。
この男は、戦士だ。
「戻りました。」
青年はガルドへ頭を下げる。
ガルドは静かに頷いた。
「遅かったな。」
「任務が長引きました。」
「怪我は。」
青年は少しだけ笑う。
「問題ありません。」
ガルドは目を細める。
「……嘘だな。」
「相変わらずですね、団長。」
そのやり取りを見て、ベスは少し驚いた。
厳しいガルドが、
この青年には少しだけ表情を緩めている。
青年はベスを見る。
「こいつが?」
ガルドが頷く。
「ああ。」
「ベスだ。」
青年は少しだけ目を細めた。
「グランベアを倒した新人か。」
ベスは首を横に振る。
「俺一人じゃない。」
「みんなで倒した。」
青年は一瞬黙った。
そして。
小さく笑う。
「……なるほど。」
「噂とは違うな。」
ベスは首を傾げる。
「何が?」
青年は大剣へ手を置く。
「普通なら自分の手柄にする。」
「でも、お前は仲間を先に出した。」
「嫌いじゃない。」
ガルドが口を開く。
「紹介する。」
「レオン。」
青年は軽く手を上げた。
「灰鷹のレオンだ。」
「よろしく。」
ベスも頷く。
「ああ。」
「よろしく。」
短いやり取り。
だが。
不思議と分かった。
この男は強い。
そして。
自分と同じように、
仲間を信じて戦う人間なのだと。
その時。
港中へ鐘の音が響いた。
「出航だ!」
船員たちが叫ぶ。
レオンは船へ向かって歩き出す。
途中で一度だけ振り返った。
「中央島で腕を見せてもらう。」
「次は、剣で話そう。」
ベスは笑う。
「ああ。」
レオンは人混みへ消えていった。
巨大な帆船がゆっくりと港を離れる。
歓声。
汽笛。
白い波しぶき。
ベスは船首へ立ち、遠ざかる故郷を見つめていた。
「もう戻れない。」
そんな気がした。
村を出た時とは違う。
今度は、自分の意思で世界へ踏み出す。
その旅だった。
日が暮れる頃。
船は水平線の向こうへ進んでいた。
夕焼けに染まる海。
空を舞う白い鳥。
穏やかな時間。
そのはずだった。
突然――。
ドォォン!!
船体が大きく揺れる。
悲鳴が上がる。
「な、何だ!」
船員が海を指さす。
「海だ!」
「海の中に何かいる!」
黒い影が、水面下を高速で泳いでいる。
一つではない。
二つ。
三つ。
やがて巨大な背びれが海面を切り裂いた。
「海魔だ!」
港から同行していた老船員が顔色を変える。
「こんな沖まで現れるなんて……!」
乗客たちは慌てて武器を抜く。
ガルドは静かに剣を構えた。
「ベス。」
「これが世界だ。」
海にも魔物がいる。
空にも。
山にも。
世界中に、人々を脅かす存在がいる。
ベスは剣を抜いた。
右手に剣。
左腕には獣爪。
もう村のためだけではない。
この船には何百人もの命がある。
守るべきものが、また一つ増えた。
水平線の彼方から、一頭の巨大な海魔が跳び上がる。
月明かりを浴び、その牙が鈍く輝いた。




