ヴェルディス
夜風が止む。
ガルドの足元から溢れた黒い霧が静かに広がる。
黒い霧はガルドの身体へ絡み付き、その瞳はゆっくりと灰色へ染まっていく。
灰色の亡霊。
その姿を前にしても、ベスは一歩も引かなかった。
肩まで白銀の装甲が広がる。
蒼白い紋様が淡く浮かび上がり、
左腕から溢れた銀色の魔力が空中で形を成す。
巨大な狼の前脚。
フェンリルが静かに顕現した。
「行きます!」
砂を蹴る。
ベスが一瞬で間合いを潰す。
キィィン!!
剣がぶつかる。
その直後。
巨大な狼の前脚が横から薙ぎ払う。
ガルドは黒い霧を纏ったまま紙一重で躱し、木剣を滑らせる。
しかし。
ベスは止まらない。
剣が流れ、
フェンリルが追い、
再び剣へ繋がる。
途切れない。
一つの流れ。
まるで最初から一本の武器だったかのように攻撃が続いていく。
ガルドは初めて口を開いた。
「そこはもう出来ている。」
ベスは攻撃を止めない。
ガルドは木剣で受け流しながら続ける。
「剣も。」
「フェンリルも。」
「もう一つとして扱えている。」
その言葉に、ベスはさらに踏み込む。
だが。
ガルドは半歩だけ横へ動いた。
その瞬間。
ベスの連撃が空を切る。
「っ!」
「何が足りないか分かるか。」
ベスは距離を取る。
「……分かりません。」
ガルドは木剣を肩へ担ぐ。
「お前はまだ。」
「人間の間合いで戦っている。」
ベスは眉をひそめる。
「人間の……間合い。」
「そうだ。」
ガルドは静かに頷く。
「剣の間合い。」
「お前自身の歩幅。」
「その中だけで戦っている。」
黒い霧がゆっくりと揺れる。
「だがフェンリルは違う。」
「その前脚。」
「衝撃波。」
「存在そのもの。」
「全部がお前の武器だ。」
「戦場を広げろ。」
「敵一人を見るな。」
「敵が立つ空間ごと支配しろ。」
その言葉を聞いた瞬間。
ベスの中で何かが繋がった。
今まで見ていたのは敵。
だがガルドが見ているのは、その周囲すべてだった。
再び構える。
今度は少しだけ違う。
剣先は相手だけを向いていない。
フェンリルの前脚も、ただ振るうためではない。
相手が逃げる場所。
踏み込む場所。
避ける場所。
そのすべてを自然と塞ぐように構えが変わる。
ガルドの目が細くなる。
「……それだ。」
ベスが踏み込む。
剣。
フェンリル。
衝撃波。
三つが同時ではない。
互いの逃げ道を潰しながら、一つの流れとなって襲い掛かる。
ガルドは初めて木剣を大きく払った。
砂が舞う。
「面白い。」
その声には、確かな喜びがあった。
さらに激突する。
夜空へ火花が散る。
ベスは左腕へ意識をさらに深く沈めた。
フェンリルのさらに奥。
まだ届いていない領域。
そこへ静かに手を伸ばす。
銀色の魔力が一瞬だけ強く脈打つ。
ガルドの目が見開かれた。
「そこへ届くか。」
次の瞬間。
眩い銀光が二人を包み込んだ。
岩の上の灰猫が片目だけ開く。
「にゃ。」
透明な結界が静かに揺れる。
その中で何が起きたのか。
それを見ていたのは、星空と灰猫だけだった。
夜明け前。
黒い霧は静かに収まり始める。
灰猫は当然のようにガルドの頭へ飛び乗った。
「にゃ。」
丸くなり、欠伸を一つ。
ガルドは苦笑しながら歩き出す。
ベスもその後を追った。
その夜、掴んだものを胸に刻みながら。




