イグネア
夕日はゆっくりと砂漠の彼方へ沈み始めていた。
昼間の熱気は和らぎ、乾いた風が静かにオアシスを吹き抜ける。
レオンは薪を割り、
アイラは矢羽根を整え、
リシアはノアと夕食の支度を進めていた。
穏やかな夕暮れ。
ベスは仲間たちへ軽く手を上げる。
「少し身体を動かしてくる。」
「飯までには戻れよ。」
レオンが笑う。
「ああ。」
短く返事をすると、ベスはオアシスから少し離れた砂地へ歩いていった。
誰もいない砂地。
ベスは左腕へ視線を落とす。
「試すなら今だ。」
深く息を吸う。
ゆっくり吐く。
意識を左腕へ沈めていく。
腕を覆う紋様が脈打つように輝き、肩口近くまで一気に広がっていく。
肩まで白銀の装甲が広がり、蒼白い紋様が淡く浮かび上がる。
左腕から溢れた銀色の魔力が空中で形を成していく。
巨大な狼の前脚。
実体ではない。
だが確かな質量を持つ銀色の腕が、静かに左腕へ重なった。
以前より揺らぎは少ない。
呼吸も乱れない。
「よし。」
最初に試すのは移動だった。
砂を蹴る。
ドンッ!
景色が一瞬で流れる。
「速い。」
そのまま急停止。
身体を反転させ、逆方向へ踏み込む。
砂が大きく舞う。
さらに横へ跳ぶ。
連続で方向を変える。
以前なら身体が引っ張られていた。
だが今は違う。
力へ振り回されることなく、自分の意思で身体がついてくる。
「ここまでは問題ない。」
何度か繰り返す。
呼吸は少し乱れ始めたが、まだ制御できていた。
次は衝撃波。
ベスは獣爪をゆっくり構える。
「どこまで届く。」
大きく振り抜く。
ズォンッ――。
蒼白い衝撃が一直線に砂漠を走る。
遠くの岩へ当たり、砂煙が舞い上がった。
「……。」
ベスは歩いて距離を測る。
思っていたより遠い。
もう一度。
今度は角度を変える。
ズォンッ!
衝撃波は先ほどより広く砂を抉った。
「距離は十分。」
「でも。」
三発目を放とうとした瞬間。
左腕が熱を持つ。
魔力がわずかに乱れた。
「連発はまだ難しいか。」
一撃必殺。
あるいは牽制。
使いどころを考えなければならない。
ベスはゆっくり息を整える。
そして目を閉じた。
「もう少し……。」
フェンリルへ意識を沈める。
さらに奥。
もっと深い場所。
そこへ手を伸ばそうとする。
銀色の魔力が一瞬だけ大きく脈打つ。
巨大な狼の前脚も、それに呼応するように震えた。
だが。
そこで止まる。
まるで見えない壁が立ちはだかるようだった。
「……届かない。」
無理に押し込めば出せる気もする。
だが、それは違う。
そんな感覚だけが残る。
ベスは静かに力を解いた。
「まだ早いか。」
切り札。
確かに、その輪郭だけは見え始めていた。
しかし今は、触れるべき時ではない。
「そこまでだ。」
低い声が背後から響く。
振り返る。
ガルドだった。
腕を組み、静かに立っている。
「団長。」
「見てたんですね。」
「ああ。」
ガルドは砂地へ残る足跡と、衝撃波が刻んだ跡を見渡す。
「一人で試せることは試したな。」
ベスは頷く。
「はい。」
「だいぶ見えてきました。」
ガルドは小さく鼻を鳴らす。
「なら次だ。」
「実戦は相手がいて初めて分かる。」
少し間を置く。
「夜。」
「俺が相手をする。」
その言葉に、ベスは自然と笑みを浮かべた。
「お願いします。」
夕日は静かに地平線へ沈み、砂漠には長い夜が訪れようとしていた。




