エルディ
荒野を渡る風は、昨日より少しだけ穏やかだった。
灰鷹は荷物をまとめ、再び南へ歩き始める。
誰も口を開かなかった。
昨日の戦いは、それほどまでに激しかった。
やがて。
沈黙を破ったのはレオンだった。
「団長。」
ガルドは前を向いたまま答える。
「なんだ。」
「昨日のあれ……。」
「あれって、亡霊状態ですよね。」
ガルドは少しだけ歩みを緩めた。
頭の上では灰猫が気持ち良さそうに丸くなっている。
「ああ。」
「隠すつもりはなかった。」
「あの場で必要だった。」
「それだけだ。」
その一言には、迷いも後悔もなかった。
「でも……。」
アイラが口を開く。
「亡霊状態は、もうなくなったんじゃ……。」
ガルドは静かに頷く。
「完全な亡霊ではない。」
「昨日使ったのは、その残滓だ。」
ベスは静かに耳を傾ける。
「昔のおれは、亡霊そのものだった。」
「力に飲まれ。」
「敵も味方も分からなくなった。」
「人ではなく、ただ戦うだけの化け物だった。」
「虚無の使徒に利用された時も同じだ。」
「二十年前の亡霊へ戻され、お前たちと戦った。」
ベスは静かに頷く。
忘れることなどできない。
自分で団長の剣を叩き折り。
最後に灰猫が歩み寄り、ガルドを現実へ引き戻した。
「あの時、亡霊そのものは消えた。」
「だが、力の欠片だけは残っていた。」
ガルドは頭の上の灰猫を見上げる。
「その欠片を、ずっとこいつが抑えてくれていた。」
灰猫は返事をしない。
尻尾だけを一度、小さく揺らす。
「昨日は、その力を借りた。」
「もう二度と使うつもりはなかった。」
「だが、お前たちを失うくらいなら。」
「迷う理由はなかった。」
レオンは照れくさそうに笑う。
「……団長らしいっす。」
ガルドも小さく笑った。
「そうかもしれんな。」
しばらく歩く。
今度はリシアがベスを見る。
「ベス。」
「昨日の姿は……。」
「フェンリルの力なの?」
ベスは左腕を見つめた。
獣爪は、もう普段の姿へ戻っている。
「分からない。」
正直に答える。
「ただ。」
「リシアが倒れて。」
「ノアが狙われて。」
「気付いたら体が動いてた。」
「その時、フェンリルが応えてくれた。」
しばらく沈黙が流れる。
すると。
ノアが小さく首を傾げた。
「ベス。」
「わたしも助けてくれた。」
「リシアおねえちゃんも助けてくれた。」
「だから。」
「フェンリルも、うれしかったんじゃない?」
幼い言葉だった。
けれど、その一言に全員が足を止める。
リシアは静かにノアを見る。
アイラも小さく息を呑んだ。
ガルドはしばらく考え込み、ゆっくりと口を開く。
「……そういうことか。」
ベスが振り返る。
「団長?」
「継承者とは、力を受け継ぐ者じゃない。」
「守る者だ。」
ガルドはベスを真っ直ぐ見つめる。
「昨日のお前は、自分が守りたい者を守った。」
「そして、継承者として守るべき巫女も守った。」
「それだけじゃない。」
「目の前に母の仇がいたにもかかわらず、その復讐より仲間の命を選んだ。」
「フェンリルが認めたのは、その覚悟だったのかもしれん。」
ベスは静かに左腕へ手を添える。
フェンリルは何も語らない。
それでも、不思議と昨日より近くに感じられた。
「守る者……か。」
ベスは小さく微笑んだ。
「悪くない。」
歩き続けるうちに景色が変わり始める。
岩場は少なくなり。
乾いた土は細かな砂へ変わっていく。
熱を帯びた風が頬を撫でた。
アイラが遠くを指差す。
「あれ……。」
地平線の先。
黄金色の世界がどこまでも広がっていた。
「砂漠……。」
ノアが思わず息を呑む。
ガルドは歩みを止めない。
「荒野は終わりだ。」
「ここから先が第四大陸南部。」
「本当の過酷な世界が始まる。」
誰も軽口を叩かなかった。
昨日より少しだけ強くなった継承者と、変わらず支え続ける仲間たち。
灰鷹は、新たな試練が待つ灼熱の砂漠へと歩みを進めていった。




