ミラ
石像たちが再び沈黙すると、神殿全体を包んでいた振動も静まった。
祭壇の奥から、重々しい音が響く。
ゴゴゴゴ……。
壁が左右へゆっくりと開いていく。
その先には、長い階段が続いていた。
冷たい空気が吹き上がる。
まるで大地の底へ誘われるようだった。
「……行くしかないな。」
ガルドは剣を握り直し、先頭へ立つ。
誰も反対しなかった。
階段を下りるたび、壁に刻まれた紋様が青く灯る。
その光は、まるでベスを導いているようだった。
やがて最下層へ辿り着く。
そこは巨大な円形の空間だった。
天井は見えないほど高い。
中央には、黒い鎖で幾重にも縛られた巨大な水晶が浮かんでいる。
水晶の中には、人影があった。
長い髪を持つ、一人の女性。
眠るように目を閉じている。
「人……なのか?」
ボルグが息をのむ。
リシアはゆっくり首を振った。
「違う……。」
「この気配……。」
その瞬間。
フェンリルが激しく震えた。
ドクン。
まるで心臓が脈打つような音。
すると、水晶の女性がゆっくりと目を開く。
透き通るような金色の瞳。
その視線は真っすぐベスへ向けられていた。
『……継承者。』
声は耳ではなく、頭の中へ響く。
ベスは思わず一歩前へ出た。
「君は誰だ。」
女性は微笑む。
どこか悲しげな笑みだった。
『私は、最後の守り手。』
『名は――セレネ。』
その名前を聞いた瞬間。
ガルドの手が、わずかに止まった。
「……セレネ。」
小さく呟いた声には、驚きとも警戒とも取れない、複雑な色が混じっていた。
「まさか……。」
エインも顔色を失う。
「伝承の名じゃ……。」
だが、それ以上を口にする前に。
バキッ。
一本の黒い鎖に亀裂が走った。
部屋中へ不気味な音が響く。
『……時間がない。』
セレネの声が震える。
『封印が弱まっている。』
『何が封印されているんだ!』
ベスが叫ぶ。
女性は静かに目を閉じる。
『憎しみ。』
『神と人が生み出した、最初の災厄。』
その瞬間。
二本目の鎖が砕け散る。
轟音。
空気が震える。
床に黒い霧が流れ始めた。
エインが弓を構える。
「下がれ!」
霧は渦を巻き、一つの形を作っていく。
角。
翼。
黒い甲殻。
そして、真紅の瞳。
「魔物じゃない……。」
ボルグが震える。
「こんなの、見たことがねぇ……。」
その存在は咆哮もしない。
ただ静かに立ち、ベスを見つめていた。
『継承者。』
低く響く声。
『その牙を寄越せ。』
次の瞬間。
影が消えた。
速い。
ベスの目でも追えない。
ギィィィン!!
火花が散る。
フェンリルが辛うじて受け止める。
重い。
これまでの敵とは比べものにならない。
ベスの膝が床へ沈む。
「ぐっ……!」
ガルドが飛び込む。
剣が閃く。
しかし影は後ろへ跳び、傷一つ負わない。
「団長の剣が……。」
ボルグは言葉を失う。
ガルドは静かに息を吐く。
「全員。」
「戦うな。」
仲間たちが驚いて振り返る。
「勝てない。」
その一言は、誰よりも強いガルドだからこそ重かった。
「撤退する!」
「でも、あの人は!」
ベスは水晶の中のセレネを見る。
彼女は穏やかに首を横へ振った。
『行きなさい。』
『今のお前では、この運命には届かない。』
『強くなりなさい。』
『復讐のためではなく。』
『未来のために。』
その言葉を最後に、水晶は再び光を失う。
影が一歩踏み出す。
床が砕ける。
ガルドはベスの腕を掴んだ。
「走れ!」
灰鷹は神殿の出口へ向かって駆け出す。
誰も振り返らない。
振り返れば、逃げ切れないと分かっていた。
だがベスだけは、一瞬だけ後ろを見る。
暗闇の中。
セレネは微笑んでいた。
まるで――
「必ずまた会える。」
そう信じているかのように、、、。
その笑顔が、ベスの胸に深く刻まれた。




