ペテルギウス
神殿の奥へ続く回廊は、どこまでも静かだった。
足音だけが石壁に反響する。
誰も口を開かない。
ベスが見た”記憶”のことが、それぞれの胸に引っかかっていた。
やがて回廊の先に、大きな円形の部屋が現れる。
天井は崩れ落ち、そこから一筋の光が差し込んでいた。
部屋の中央には、黒い石で造られた祭壇。
その周囲を四体の石像が囲んでいる。
剣を掲げる戦士。
槍を構える女戦士。
杖を持つ賢者。
そして――
巨大な獣の爪を左腕に宿した、一人の青年。
ベスは息をのむ。
「……フェンリル。」
石像の左腕には、自分とよく似た籠手が装着されていた。
ガルドもゆっくり近づく。
「この武具は、やはり古代のものか……。」
リシアは像の台座に刻まれた文字を指でなぞる。
「読めない……。」
エインは周囲を見渡した。
「気を抜くな。」
「こういう場所には、守り手がおる。」
その言葉が終わるより早かった。
ゴゴゴゴ……。
部屋全体が震える。
石像の目に青い光が宿った。
「来るぞ!」
ガルドが叫ぶ。
四体の石像がゆっくりと動き始めた。
剣士の石像が、ガルドへ斬りかかる。
凄まじい一撃。
ガァン!!
ガルドは受け止めるが、床を滑らされる。
「なんて重さだ……!」
一方、槍の石像はボルグたちへ襲いかかる。
エインは賢者の石像と距離を取りながら矢を放つ。
しかし矢は見えない壁に弾かれた。
「魔法障壁か!」
そして最後の一体。
獣爪を持つ石像は、真っ直ぐベスだけを見つめていた。
ゆっくりと構える。
腰を落とす。
右手を引き、左腕の爪を前へ出す。
その構えは――
ベス自身とまったく同じだった。
「俺の構え……?」
次の瞬間。
石像が消えた。
「速い!」
咄嗟にフェンリルで受ける。
ギィィン!!
凄まじい衝撃が腕を走る。
吹き飛ばされ、床を転がる。
立ち上がる。
また襲ってくる。
低く。
鋭く。
獣のように。
その動きには一切の無駄がなかった。
「くそっ!」
ベスも飛び込む。
左の爪で受け流し、右手の剣を振る。
石像は半歩だけ身体をひねる。
刃は空を切った。
「見切られた……!」
まるで未来を読まれている。
否。
違う。
ベスの戦い方を、すべて知っているのだ。
何度も打ち合う。
剣がぶつかる。
爪が火花を散らす。
石像は一言も発しない。
だが、その動きは語っていた。
「力任せだ。」
「足が止まっている。」
「視線が狭い。」
まるで、無言の稽古だった。
ガルドは剣を交えながら叫ぶ。
「ベス!」
「勝とうとするな!」
「学べ!」
その言葉で、ベスの意識が変わる。
攻撃を止める。
相手を見る。
呼吸。
重心。
踏み込み。
石像の一つひとつの動きを目で追う。
すると初めて見えた。
踏み込む前、ほんのわずかに左肩が下がる。
その癖を見た瞬間。
ベスは半歩だけ横へずれた。
石像の爪が空を切る。
「今だ!」
右手の剣ではなく、
左腕のフェンリルを突き出す。
ガキィン!
爪と爪が噛み合う。
石像の動きが止まる。
青い光が激しく明滅した。
そして静かに、一歩下がる。
敵意は消えていた。
「……?」
石像はゆっくりと右拳を胸へ当てる。
まるで戦士が相手へ敬意を示すように。
その姿勢のまま、再び石へ戻っていく。
部屋は静寂を取り戻した。
ベスは息を切らしながら、その背中を見つめる。
「倒した……わけじゃない。」
ガルドが歩み寄る。
「いや。」
「認められたんだ。」
その瞬間、祭壇の中央から一筋の光が立ち上る。
そこには一枚の石板が浮かんでいた。
古代文字が、ゆっくりと光る。
リシアが目を凝らす。
「一部だけ……読める。」
彼女は小さく息をのみ、震える声で読み上げた。
『牙を継ぐ者よ。力を求めるな。覚悟を継げ。』
ベスはフェンリルへ視線を落とす。
左腕の籠手は、まるで応えるように静かに脈打っていた。
その鼓動は武器ではない、、、。
遠い昔から受け継がれてきた、誰かの”意志”そのものだった。




