シノクル
赤き森は再び静寂を取り戻していた。
巨大な植物が崩れ落ちたあとも、湿った空気だけは変わらない。
アイラは根元から現れた石碑を丁寧に調べていた。
付着した土を払い、蔦を一本ずつ切り落としていく。
「少し読めそうです。」
灰鷹の仲間たちが石碑を囲む。
ノアもベスの隣から背伸びをして覗き込んだ。
石碑には、風化した文字が刻まれていた。
『……この森は……護る者……』
その先は崩れ、読めない。
さらに下には、
『……侵す者……眠りを……』
そこも途中で途切れていた。
アイラは眉をひそめる。
「完全には読めません。」
「でも、この森には誰かが守っていた何かがあったようです。」
ガルドは腕を組む。
「守護者か。」
灰猫が静かに鼻を鳴らした。
「昔はそうだったのじゃろうな。」
「今は森そのものが壊れておる。」
その時。
ノアが石碑の裏側を指差した。
「ベス。」
「こっちにもある。」
全員が回り込む。
裏面には、小さく子どもの落書きのような絵が刻まれていた。
大きな木。
その下で笑う親子。
そして、一匹の大きな狼。
ノアは目を輝かせる。
「わぁ……。」
「この子、笑ってる。」
リシアも自然と笑みを浮かべた。
「昔は、この森にも平和な時間があったんだね。」
ベスは狼の絵を見つめる。
どこかフェンリルを思わせる姿だった。
だが何も語らない。
静かに石碑へ手を添えた。
その日の夕方。
森の奥へ進んだ灰鷹は、小さな泉を見つける。
澄み切った水。
赤き森の中とは思えないほど美しい場所だった。
「今日はここで休もう。」
ガルドがそう告げる。
団員たちは手分けして野営の準備を始めた。
レオンは薪を集め、
アイラは周囲を警戒する。
リシアは泉の水を確かめる。
「飲めます。」
「久しぶりに安心できる水です。」
その言葉に、皆の表情が少し和らいだ。
ノアは泉のほとりへしゃがみ込む。
水面には夕焼けが映っていた。
「きれい……。」
隣へベスが座る。
「村にも泉があったのか?」
ノアは静かに頷く。
「あったよ。」
「お母さんと、お花を見に行ってた。」
少しだけ寂しそうに笑う。
ベスは何も言わない。
ただ、一緒に水面を眺めていた。
沈黙は苦しくなかった。
ノアは小さく呟く。
「……ベス。」
「なに?」
「わたしね。」
「もう泣かない。」
ベスは優しく微笑む。
「泣きたい時は泣いていい。」
「無理に我慢しなくていいんだ。」
ノアは少し考え、小さく笑った。
「……うん。」
その夜。
焚き火を囲む灰鷹。
久しぶりに穏やかな時間が流れていた。
しかし、その誰も気付いていなかった。
泉のさらに奥。
闇に包まれた巨木の上から、一対の金色の瞳が静かに灰鷹を見つめていたことを――。
森はまだ、彼らを試すことをやめてはいなかった。




