イグナス
灰猫は祭壇へ向かって歩き始める。
誰も声を掛けない。
その小さな背中を見つめながら歩いていると、不意にレオンが立ち止まった。
「……いや、待て。」
全員が振り向く。
レオンは灰猫を指差した。
「猫……喋ってるよな?」
一瞬、静寂が流れる。
ベスが真顔で頷いた。
「……喋ってた。」
アイラも額へ手を当てる。
「今さら気付くのもどうかと思うけど……。」
「いや、今さらだからだろ!」
レオンが思わず叫ぶ。
「猫だぞ!? 普通!」
リシアも困ったように笑った。
「私も、さっきから気になっていました……。」
灰猫は歩みを止める。
ゆっくりと振り返り、全員を見回した。
「……何じゃ。」
「猫が喋って悪いか。」
「悪くはない!」
レオンは両手を広げる。
「でも猫だぞ!?」
灰猫は深いため息をついた。
「儂は昔から喋れる。」
「喋らんかっただけじゃ。」
「いや、それ先に言えよ!」
思わず全員が笑った。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ軽くなる。
その中で一人だけ。
ガルドは腕を組み、静かに猫を見つめていた。
「……やはり。」
ベスが振り向く。
「団長?」
「普通の猫ではないとは思っていた。」
「それだけだ。」
灰猫は鼻を鳴らした。
「勘だけは悪くないの。」
そう言うと祭壇へ向き直る。
その一言で、空気が変わった。
先ほどまでの笑い声は消える。
猫は黒い祭壇へ前足を置いた。
「……見るがよい。」
その瞬間。
祭壇へ刻まれた紋様が一斉に輝き始める。
眩い光が地下神殿を包み込んだ。
景色が溶ける。
床も。
壁も。
仲間の姿も。
すべてが白い光へ変わっていく。
誰も驚かない。
これが三度目の真実。
もう目を逸らす者はいなかった。
やがて。
青い空が広がる。
穏やかな草原。
笑い合う人々。
子どもたちが駆け回っている。
そこまでは、以前見た記憶と変わらない。
そして。
空が静かに裂けた。
光をまとった存在たちが大地へ降り立つ。
人々は歓喜し、跪き、その存在を迎えた。
ここも知っている。
しかし。
次の瞬間。
大地が震えた。
山々を越え、一頭の白銀の巨獣が姿を現す。
黄金の瞳。
天を揺るがす咆哮。
ベスの左腕、フェンリルが静かに脈打つ。
巨獣は人々へ向かわない。
光をまとった存在たちの前まで歩き――
立ちはだかった。
「……っ。」
レオンが息を呑む。
アイラも目を見開く。
「違う……。」
リシアの声が震える。
誰もが思っていた。
神を迎えに来た存在なのだと。
違った。
巨獣は神々を迎えたのではない。
神々の行く手を阻んだのだ。
さらに景色は動く。
天から降りた存在たちは武器を取らない。
代わりに、大地を見渡していた。
まるで何かを探すように。
その視線の先には――
世界の中心で輝く、一つの巨大な光。
誰も見たことのない光だった。
その瞬間。
映像は途切れる。
白い世界が崩れ、地下神殿の景色が戻ってくる。
重い沈黙が流れた。
誰一人として口を開けない。
驚いたのは、真実を見たことではない。
その真実が、自分たちの知る歴史とはあまりにも違っていたからだった。
灰猫は静かに祭壇から降りる。
「……今日はここまでじゃ。」
その一言だけを残し、小さな守護獣は再び歩き始めた。




