カノープス
砦へ戻る頃には、夕焼けが山々を赤く染めていた。
灰鷹の門が開くと、留守を守っていた団員たちが歓声を上げる。
「団長たちが帰ったぞ!」
「グランベアを倒したらしい!」
「本当か!」
ボルグは照れくさそうに頭をかいた。
「俺たちだけじゃねぇ。」
そう言って、後ろを歩くベスの肩を軽く叩く。
「こいつが最初の傷をつけたんだ。」
その一言で、周囲の視線が集まる。
ベスは思わず目を伏せた。
褒められることに慣れていない。
村を失ってから、自分を認めてくれる人などいなかった。
「よくやった。」
年配の団員が笑う。
「初陣で生きて帰るだけでも大したもんだ。」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
夜。
砦ではささやかな祝宴が開かれた。
焼いた肉の香り。
笑い声。
酒瓶を打ち鳴らす音。
戦いの後だからこそ、生きていることを喜ぶ。
それが灰鷹の流儀だった。
ベスは隅の席で静かに食事をしていた。
そこへリシアが木の器を持って歩いてくる。
「隣、いい?」
ベスは小さくうなずいた。
器の中には、湯気の立つ薬草のスープ。
「怪我人用だけど。」
「あなたにも必要だから。」
一口飲む。
苦い。
思わず顔をしかめる。
リシアは笑いをこらえきれず吹き出した。
「その顔。」
「初めて見た。」
ベスも少しだけ口元が緩む。
ほんの一瞬。
復讐を忘れて笑った。
それは本人も気づかないほど小さな変化だった。
翌朝。
ガルドはベスを砦の裏山へ連れて行く。
そこには一本の大きな岩があった。
表面には無数の剣傷。
「ここは……?」
「灰鷹の墓標だ。」
ベスは驚く。
墓石はどこにもない。
「ここに刻まれた傷は、死んだ仲間が残した最後の一太刀だ。」
ガルドはゆっくりと岩へ手を置く。
「名前は風化する。」
「墓も崩れる。」
「だが、剣を振るった証だけは残る。」
ベスは岩を見つめる。
一本一本、深さも形も違う。
不器用な傷。
鋭い傷。
細い傷。
どれも、生きた証だった。
ガルドは腰の短剣を抜く。
「お前も刻め。」
「え……?」
「初陣を越えた者は、ここへ一太刀入れる。」
ベスは剣を握る。
ゆっくりと振り下ろす。
ギィン……。
岩に一本の浅い傷が刻まれた。
他の傷に比べれば、小さく頼りない。
それでも確かに、新しい一本が加わった。
「いつか。」
ガルドが静かに言う。
「お前の傷が、一番深くなる日が来る。」
その帰り道。
ベスは左腕の《獣爪ガントレット・フェンリル》を外そうとした。
しかし――。
「……あれ?」
外れない。
留め具を外しても、籠手だけが腕に張り付いたまま動かない。
ガルドも眉をひそめる。
「貸してみろ。」
力を込めても外れない。
まるで腕と一体になったかのようだった。
その時。
フェンリルの内側に、小さな青い紋様が浮かび上がる。
見たことのない文字。
「団長……。」
「これは。」
ガルドの表情が変わる。
「その文字は……。」
言いかけたところで、エインが慌てて駆け込んできた。
「ガルド!」
「急げ!」
「王都から伝令だ!」
「王国騎士団が……。」
「魔物の大群に壊滅した。」
その場の空気が凍りつく。
王国最強と呼ばれる騎士団。
その壊滅は、一つの事実を示していた。
世界が変わり始めている。
ガルドはフェンリルを見つめる。
青い紋様は、いつの間にか消えていた。
「……嫌な予感がする。」
彼の呟きは、風にかき消された、、、。
そして星は静かに、新たな時代へと動き出していく。




