カルディス
旧騎士団修練場。
朽ちた門をくぐった瞬間、冷たい風が吹き抜けた。
誰も言葉を発しない。
石畳には落ち葉が積もり、かつて響いていたはずの剣戟の音は、もうどこにも残っていなかった。
ベスは静かに周囲を見渡す。
崩れた訓練用の人形。
朽ちた武器棚。
割れた窓。
どれも長い年月を物語っている。
「ここで……。」
「団長は戦っていたんですね。」
老騎士はゆっくりと頷いた。
「ああ。」
「毎日のように剣を振っていた。」
「誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰る。」
レオンが苦笑する。
「今と全然変わってねぇな。」
少しだけ、重かった空気が和らいだ。
広い修練場の中央には、一体だけ訓練人形が残っていた。
胸には深い斬撃。
何百、何千という剣筋が刻まれている。
ベスはそっと傷跡へ触れた。
「……。」
不思議だった。
ただの木なのに、今にもガルドの剣が聞こえてきそうだった。
アイラは壁際に目を向ける。
そこには古びた掲示板が残されていた。
紙は風化していたが、一枚だけ判読できるものがある。
「これは……。」
近付いて慎重に読む。
『第三小隊 隊長 ガルド』
その文字を見た全員が立ち止まる。
レオンが小さく笑う。
「隊長なんて昔からだったんだな。」
老騎士は首を横に振る。
「違う。」
「この任務が、初めて任された隊長だった。」
その言葉に、ベスは掲示板を見つめた。
初めて背負った責任。
初めて守ると決めた仲間。
その全てが、この場所から始まった。
その時だった。
「ニャア。」
静かな鳴き声が響く。
全員が振り向く。
そこには、あの灰猫が座っていた。
琥珀色の瞳でベスを見つめている。
「またお前か。」
ベスが近付く。
灰猫は逃げない。
ゆっくりと歩き出し、修練場の建物へ入っていく。
「待て!」
レオンが声を掛ける。
しかし猫は振り返らない。
まるで案内するように、迷いなく進んでいく。
建物の最奥。
誰も使わなくなった資料室だった。
棚は倒れ、本は朽ち果てている。
灰猫は部屋の隅で足を止めた。
何もない石床。
その一点だけを見つめている。
ベスはしゃがみ込み、床へ手を置いた。
「……ん?」
わずかな隙間がある。
レオンも手伝い、石板を押す。
ゴゴゴ……
重い音とともに石床が横へ動いた。
その下には、地下へ続く石階段。
冷たい風がゆっくりと吹き上がってくる。
アイラが息を呑む。
「隠し通路……。」
老騎士の表情が強張る。
「そんな馬鹿な。」
「ここは封鎖されたはずだ……。」
ベスは階段の奥を見つめる。
暗闇しか見えない。
だが胸の奥で、何かがざわついた。
フェンリルも反応はしない。
それでも、どこか懐かしいような、不気味な気配だけが伝わってくる。
「団長は……。」
「この下にいる。」
誰も否定しなかった。
灰猫は石階段の前で一度だけ振り返る。
そして静かに尻尾を揺らすと、闇の中へ姿を消した。
ベスは剣の柄を握る。
「行こう。」
「必ず団長を連れて帰る。」
仲間たちは力強く頷く。
誰も引き返そうとはしなかった。
その地下で待っているのが、師との再会なのか。
それとも、二十年前の悲劇の答えなのか。
まだ誰にも分からなかった。




