アスミディスケ
翌朝。
灰鷹は再び紅葉の森へ足を踏み入れた。
昨日見た魔鹿の様子が気掛かりだった。
森へ入った瞬間。
ガルドが足を止める。
「……いる。」
その一言と同時に、空気が重く沈んだ。
広場へ辿り着く。
巨大な古木の前。
そこにいた魔鹿は、昨日とはまるで別の姿になっていた。
黄金色だった角は漆黒へ染まり、全身から黒い霧が噴き出している。
その巨体は一回り大きくなり、紅葉色だった瞳は深紅へ変わっていた。
「完全に侵食されてる……。」
リシアが息を呑む。
その時だった。
パン……パン……。
乾いた拍手が森へ響く。
昨日の虚無の使徒が姿を現す。
その後ろには十数人の白い仮面の使徒たち。
「約束通り来た。」
男は静かに笑った。
「今日は、お前を迎えに来た。」
視線は一直線にガルドへ向いている。
「団長は渡さない!」
ベスが剣を抜く。
レオンも大剣を構えた。
しかし。
ゴォォォォッ!!
紅蓮角王が天を震わせる咆哮を放つ。
巨大な角が地面を砕き、木々をなぎ倒す。
「来るぞ!」
ガルドの声。
巨大な鹿が一直線に突進してくる。
「散開!」
灰鷹は四方へ飛び退いた。
突進だけで大地が揺れる。
「ベス!」
「お前たちは鹿を止めろ!」
ガルドは虚無の使徒へ剣を向けた。
「こいつは俺がやる。」
「団長!」
「命令だ!」
短い言葉だった。
ベスは悔しそうに唇を噛む。
「……分かりました!」
灰鷹は紅蓮角王へ向き直る。
レオンが真正面から斬り掛かる。
「うおおおっ!」
しかし巨大な角で弾き飛ばされた。
「ぐあっ!」
アイラの矢が角を狙う。
だが硬い。
一本も刺さらない。
「硬すぎる!」
リシアは倒れたレオンを癒やし続ける。
ベスは魔鹿の動きを見つめる。
大きい。
だが速い。
「右へ!」
叫ぶ。
仲間たちはすぐ反応した。
巨大な角が空を裂く。
あと一瞬遅ければ、全員まとめて吹き飛ばされていた。
その頃。
ガルドは虚無の使徒と激しく剣を交えていた。
互いの斬撃が森を切り裂く。
一進一退。
だが。
虚無の使徒が小さく笑う。
「頃合いか。」
男が指を鳴らす。
その瞬間。
地面から黒い鎖が噴き出した。
ガルドは二本を斬る。
三本目も断つ。
しかし。
四本目が左腕へ絡みつく。
五本目が脚を拘束した。
「くっ……!」
男は静かに歩み寄る。
そして。
仮面を少しだけ横へずらした。
「……久しぶりだな。」
覗いた素顔。
頬に残る古傷。
ガルドの瞳が揺れる。
「……お前。」
「生きていたのか。」
男は静かに笑う。
「ああ。」
「積もる話は後だ。」
「団長!」
ベスが振り返る。
黒い鎖に捕らわれたガルドが見えた。
助けに向かおうと駆け出す。
その瞬間。
ドォォン!!
紅蓮角王が立ちはだかった。
巨大な角が振り下ろされる。
「しまっ!」
ベスは受け止める。
凄まじい衝撃。
両腕が悲鳴を上げる。
吹き飛ばされながらも体勢を立て直す。
「ベス!」
レオンが駆け寄る。
「団長が!」
「分かってる!」
叫び返した、その時。
ガルドの声が森へ響く。
「来るな!!」
全員の動きが止まる。
「目の前の敵を倒せ。」
「街へ行かせるな。」
短い命令だった。
ベスは拳を握り締める。
「でも……!」
「命令だ。」
ガルドは静かに笑った。
「お前なら……分かるはずだ。」
黒い霧が渦を巻く。
虚無の使徒たちの姿が霧へ溶けていく。
最後に男はベスへ視線を向けた。
「迎えに来られるものなら来てみろ。」
次の瞬間。
ガルドごと黒い霧は消え去った。
「団長ぉぉぉ!!」
ベスの叫びが森へ響く。
返事はない。
その直後。
ゴォォォォッ!!
紅蓮角王が怒り狂ったように咆哮を上げる。
黒い霧を撒き散らしながら、街のある方角へ向きを変えた。
アイラが青ざめる。
「このままじゃ街が!」
ベスは歯を食いしばる。
追いたい。
今すぐ団長を助けたい。
それでも。
脳裏に蘇るのは、ガルドの言葉だった。
ベスはゆっくりと剣を構える。
瞳に迷いはなかった。
「……みんな。」
「まずは、この魔鹿を止める。」
その声に灰鷹の仲間たちは静かに頷いた。
紅葉舞う森で、新たな決戦の幕が上がる。




