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バル  作者: 隣の猫
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アセルス



忘却の渓谷。


巨大な魔狼がベスを連れ去った直後だった。


「ベスーーッ!」


レオンの叫びが霧へ吸い込まれる。


返事はない。


ガルドは魔狼が消えた方向を見据え、静かに口を開いた。


「追う。」


ただ、その一言だった。


誰も異論を口にしない。


灰鷹はすぐに走り出した。




渓谷の霧は深く、視界は数歩先さえ見えない。


魔狼の足跡は途中で消え、道らしい道もない。


「……見失った。」


レオンが悔しそうに拳を握る。


ガルドは辺りを見回す。


「アイラ。」


名前を呼ばれたアイラは静かにしゃがみ込み、折れた枝や踏み荒らされた草を見つめた。


風の流れを感じるように目を閉じる。


やがて、小さく頷く。


「こっちです。」


「枝が新しく折れています。」


「木の幹にも毛が残っています。」


ガルドは短く頷いた。


「行くぞ。」




どれほど走っただろう。


魔物が行く手を阻む。


レオンが大剣を振るい道を切り開く。


アイラの矢が霧を裂き、魔物の動きを止める。


リシアは走りながら仲間の細かな傷を癒やし続けた。


それでもガルドは一度も足を止めなかった。


「団長!」


レオンが叫ぶ。


「少し休みましょう!」


「休まない。」


即答だった。


「一歩遅れれば、その一歩でベスは命を落とす。」


その言葉に誰も何も言えなかった。


全員が歯を食いしばり、再び走り出す。




日が傾き始める。


霧はさらに濃くなっていく。


突然、獣の遠吠えが谷へ響いた。


「……っ!」


リシアが顔を上げる。


「あれ……。」


ガルドも足を止める。


静かに耳を澄ませた。


遠くから聞こえる金属がぶつかる音。


そして、獣の咆哮。


レオンの表情が変わる。


「戦ってる!」


アイラは強く頷いた。


「ベスです!」


ガルドは片手剣を握り直した。


「急ぐぞ!」


灰鷹は全力で駆け出す。




谷は険しさを増していく。


崩れ落ちた岩。


深い裂け目。


足を止めれば追いつけない。


レオンが先に飛び越え、後ろの仲間へ手を伸ばす。


アイラは安全な足場を見極める。


リシアは息を切らしながらも、一度も弱音を吐かなかった。


誰もが同じ想いだった。


助けたい。


ただ、それだけだった。




やがて霧の向こうに巨大な影が見えた。


成狼。


その周囲を囲む無数の子狼たち。


そして、その中心には満身創痍のベスが立っていた。


剣を支えにしながら、それでも一歩も退いていない。


その姿を見た瞬間。


ガルドの胸が締めつけられる。


「……よく耐えた。」


成狼が前脚を振り上げる。


もう間に合わない。


そう思った次の瞬間――


「ベェェェェェスッ!!」


ガルドは渾身の力で叫び、地面を蹴った。


その叫びは、忘却の渓谷全体を震わせるほど力強かった。

























その先に待っていた光景は、灰鷹の誰もが決して忘れることのない戦いとなる。

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