20.噂話
王宮内には活気があった。
しばらく使われていなかった広間や、客間への人の出入りも多い。
それもそのはずで、マリアーナは細かい日程は聞かされていないものの、この王宮には各国からの使節団が招かれることになっているらしい。
皆、その準備に追われているのだろう。
マリアーナはそんな賑やかな王宮内の雰囲気とは距離をおき、いつもと同じ行動を続けている。
その時も護衛のエンシオとブラントに前後を守られつつ、彼らに指示された通路を歩いていた。
いつも彼らは人通りの少ない場所を選んでいるようだった。
とはいえ、人の気配はするもので、掃除中の下女たちらしき女性の声が聞こえてきた。
おそらく、どこかの部屋の扉がきちんと閉まっていないのだろう。
振り返ったエンシオが、立てた人差し指を口に当てている。無言で通り過ぎればいいということだろう。足音は絨毯が消してくれる。
マリアーナは彼女たちの話の内容を聞く気はなかった。しかし、その話し声は廊下を進むにつれて大きくなる。
そして、マリアーナは彼女たちの話題の中心が国王である自分の夫だと気づいた。
「陛下は外国からお妃を迎えるんだろうねえ」
「王妃様がいるのに?」
「側妃にすればいいんだよ。最近は聞かなかったけど、何人かは迎えられるはずだ」
それらの話し声は、ほんの少し扉の開いた部屋の前を通り過ぎると小さくなっていき、やがて何も聞こえなくなった。
マリアーナは表情を変えないように努力した。なぜか嫌な気持ちになったけれど、話の内容は充分にあり得ることだったし、側妃に関しては結婚前にアルベルト本人から確認されている。彼の好きにすればいいと答えたはずだ。
でも、確かめずにはいられなくなって、図書館に着く直前に、マリアーナはエンシオとブラントに聞いた。
「先ほどの噂話は本当なのかしら?」
「さあ。私はそのような話を聞く立場にはありませんので」
エンシオは表情を変えずに言う。
ブラントには「気になるのですか?」と聞かれたので、即座に否定した。
「まさか。私には口を出す権利がないことですもの」
そう言いながらも、胸がザワザワと音を立てた。
なぜこんなに気持ちになるのだろうか。
マリアーナは人には見られないように深呼吸を一つして、いつも通り図書館での手伝いをした。
それを終えてからも、平静な顔で部屋へ戻った。
一人になってから、何となく書き物机の引き出しを開けて、手紙を保管している箱を手に取る。以前鍛冶屋のニーロに渡された小刀を箱の奥に追いやって、アルベルトからの手紙を一枚残らず取り出した。
今では片手でしっかり持たないといけないくらいの厚みになっている。
でも、夫婦の関係は変わらない。時間が合うと語学の勉強をして、抱かれるだけだ。
体は馴染んでも、心の内を明かし合う間柄でもないし、ましてや愛し合っているわけがない。
旧王家は彼に倒され、マリアーナは彼の王位の正統性を保証する存在として王妃に据えられた。
そして、以前は王族だった家族は、今も牢での辛い生活を強いられている。
マリアーナはふと思った。
彼は本当に愛せる相手を探しているのではないだろうか。そうでなくても、自分の力を強めるための結婚を拒む理由は彼にはないはずだ。
もしかしたら、ベランク語を熱心に勉強するのは、ベランクから妃を迎えようと考えているからかもしれない。
ベランクは大きな国だ。縁を繋げば得られる利益は多いはずだ。だからこそ、マリアーナはベランクに嫁ぐはずだった。
それがなくなったのだから、国のために他の方法を考えるのは当然だ。
それに、マリアーナは今の王宮を動かす人々から好かれていない。
新しい妃を迎えて、その人を中心に新たな王家を盛り立てていく方が自然だという気すらする。
マリアーナが何を言っても、何をしても、結局は旧王家は支持を取り戻せない。それは充分に思い知ってきた。
でも、今マリアーナの手の中にある手紙が、他の誰かにも贈られると思うと息が詰まる。
彼の温もりが自分だけのものだったらいいのにと思ってしまって、マリアーナは慌てて手紙をしまい、引き出しを閉めた。
これはおかしい。自分の思いであるわけがない。
マリアーナには彼の部下に殺されたのかもしれない、恐ろしい記憶がある。
三年前にそれを思い出した時に、次はそうならずに済むように、家族を少しでも助けられるようにと考えて行動してきた。
彼を愛するはずはない。自分たちの生活を壊した張本人だ。
その時、部屋の扉が叩かれ侍女たちがやって来た。侍女長のヘンナもいて、お茶を入れ、お菓子を置いてくれる。
この日は午後は庭には行かず、衣装や宝飾品の整理を侍女たちとする予定になっていた。
ヘンナが取り仕切ってくれているので、それはすぐに済んだ。
既婚者には相応しくない、派手すぎる物は国のものとして管理されるそうだ。そして、これからもマリアーナが身につけられる物だけが衣装部屋に戻された。
「王妃様。お加減はいかがですか。本日はご気分がすぐれないようにお見受けいたしますが」
お茶菓子に手をつけないのに目を止めたヘンナが声をかけてきた。
「いいえ。何でもないわ。今はお腹が空いていないの」
「では片付けさせましょう。お茶がお済みでしたら、便箋を用意いたしましたのでご確認いただけますか?」
マリアーナは便箋の残りが少なくなったので、その補充を頼んでいたのだった。
侍女たちが持ってきたのは、フレーム部分に花々の型押しがされた、三色の便箋だった。色によって、型押しされた花の種類が違う。
「素敵ね。これで問題ないわ」
「陛下のお使いになるものは別でご用意いたしますか? いつも王妃様のものをお使いのようですが」
アルベルトは、ほとんどの日、この部屋で朝起きた時に手紙を書いて、枕元にそれを置いていってくれる。その時は、マリアーナが寝ている間に書き物机の上に置いてある便箋を使う。
だからマリアーナの便箋は早く減ってしまうのだ。
「さあ……。どちらがいいのかしら……」
「では、お聞きいただけますか? 必要であれば、お好みのものを侍従に申し伝えていただければ、この寝室に置くように手配できるでしょう」
「ええ。そうね」
マリアーナは侍女たちがすると言うのを断って、自分で便箋を書き物机の上に重ねて置いた。
そして、今日も彼は遅いだろうから、枕元に置いておく用の手紙を書いてしまおうと思い立つ。
侍女たちを下がらせると、マリアーナは机に向かった。
窓の外を見ながら、何を話題に出そうか考える。王宮での今一番の話題は、新国王お披露目の宴に関してだろう。
マリアーナはベランク語で、文字を綴り始めた。
『各国からの使節団を迎えるべく、王宮内は忙しそうです。どれほど多くの方がいらっしゃるのでしょう。きっと』
そこまで書いたところで、マリアーナは筆が進まなくなってしまった。
きっと、彼に相応しい女性たちの釣書を持った人々がやってくる。
そして彼は、誰かを……。
そう思った瞬間、マリアーナは書きかけの手紙を持ったまま立ち上がり、歩き出していた。
部屋を出ると、前室に控えていた侍女を驚かせた。
前室を通り抜けて廊下に出ると、何事か話をしていたらしいエンシオとブラントが驚いた顔でこちらを見る。
「王妃様? どうされたのですか? 部屋からお出になる予定はないと……」
「ええ。予定はないわ」
「ではどちらへ? 道を確認しませんと」
マリアーナは止められないのをいいことに歩き続けた。彼らは後ろからついて来て、何度も向かう先を聞いてくる。
でも途中から何も言わなくなった。行き先に見当がついたからだろう。
「王妃様。執務室に向かっておられるのですか? ですが、今の時間はおそらく大勢が出入りしていて……」
「では、彼がそこにいるということね」
「先に知らせに……」
「残念だわ。そんな時間はないみたい」
マリアーナは人の出入りのために開け放たれていた執務室に入り込んだ。
この執務室は歴代の国王が使っていたものをそのまま使っているから、その場所も構造もマリアーナはよく知っている。
本来は入室者を確認するはずの兵士が、急に現れた王妃を見て驚いたまま固まっている。おかげで、簡単にその部屋に入ることができた。
そして、エンシオたちがマリアーナを呼ぶ声に部屋中の人々が振り返った。
アルベルトは椅子から立ち上がって、眉を顰めている。
「どうした、マリアーナ……。こんなに急に」
彼の周りにいる官吏たちも戸惑ったような顔や、迷惑そうな顔でこちらを見てくる。
その顔を見た瞬間、あの食事会での失敗を思い出し、マリアーナの頭は冷えていった。
その彼らに言い訳をしようと言葉を口から出そうとするのに、それがうまくできない。
「あ、お聞きしたいことがあって……。ですが急ぎではございませんので、出直して……」
「いい。今聞く。ここまで来るくらいだから、よほどのことだろう?」
彼はマリアーナに付き従っていた護衛も含めて、部屋にいた全員を人払いしたのだった。
つづく……




