2.革命の日
昼の光が曇り空に打ち勝とうとしているかのような、雲の切れ間から光が降り注ぎ始めた空の下。
明るい色のドレスを着た花嫁と凛々しい貴公子の頭の上から花々が降り注いでいる。
マリアーナは目立たないように、少し離れた場所から侍女や護衛と共にその光景を見つめていた。
花嫁は、もうすぐ隣国へ嫁ぐマリアーナの侍女を五年以上勤めてくれた、男爵令嬢のセシリアだ。彼女はマリアーナよりも一つ年下の十八歳である。
侍女であり、友人でもあったセシリアは、婚約者ができてからすでに一年以上が過ぎており、何度か王宮勤めを辞めるようにマリアーナから促されていた。
にも関わらず、マリアーナが嫁ぐまではそばにいると言い張っていた。
けれど、マリアーナは彼女の結婚を急がせた。
マリアーナの輿入れ先のベランク王国から、嫁いだ後も側で仕えてくれるという侍女や護衛が来ていて、人手も足りている。
だから結婚準備はもとより、生活面でも問題はないのだから、自分の幸せを考えて欲しいのだと、マリアーナはセシリアを説得したのだ。
薄いベールで顔を隠したお忍び姿のマリアーナの元に、花嫁姿のセシリアと花婿のクスター・サイシオ子爵がやって来て挨拶をしてくれた。
特別扱いはしないで欲しいと伝えてはあったものの、長い付き合いの彼女は「殿下のお幸せを願っております。どうか頑張りすぎないで下さいませね」と小声で言ってくれた。
「私はあなたの幸せを願うわ」
マリアーナはそれしか言えなかった。自分の幸せなんて、もうずっと前に諦めている。
でも笑顔は崩さずに、二人の背中を見送った。
セシリアにはよく注意されたものだ。マリアーナが時間を忘れて本を読んでいる時も、それ以外の時も。「休憩は必要ですよ」と彼女は譲らなかった。
マリアーナはその時のやりとりを思い出して小さく笑った。
しかし、すぐに重苦しい感情に支配される。
よほど運がよくなければ、もう二度と彼女とは会えないだろうからだ。それは、国外に嫁ぐからではない。
マリアーナは自身の無念な死が近づいてきているのを知っている。
マリアーナは、セシリアの嫁ぎ先であるサイシオ子爵家の手入れの行き届いた邸宅や、今自分がいる庭を見渡して、深く息を吸い込んだ。
この家は上級貴族ではないけれど、堅実な領地経営をしていて財政的にも安定している。花婿にも悪い噂はない。
十代の前半から近くにいてくれた彼女はきっと幸せに暮らしていけるだろう。
マリアーナはそうなることを心の底から願った。
そして、侍女と護衛の二人に「そろそろ帰りましょうか」と話しかける。
少しだけ声が震えてしまっていたかもしれない。
でも、何事もなかったように歩き出せば、二人は静かに後ろから着いてきた。
マリアーナは馬車に乗り込んでその時を待った。
馬車が走り出し、行きと同様に替えの馬車の置き場所として確保していた貴族街の空き家に向かう。
この状況を経験するのは二度目だ。
カーテンが締め切られた小ぶりな馬車の中の様子も、空き家の馬車止めや、蔦に半分覆われた建屋の様子も、マリアーナの脳裏に深く刻み込まれている。
空き家の庭には豪奢な馬車が停められている。王宮に帰るために目立たない地味な馬車から、それに乗り替えるのだ。
しかし、その馬車に近づいている途中、馬を全力で走らせてきたらしい見知った兵士が門から飛び込んできた。
「殿下! 王宮へは戻れません! 革命軍と名乗る者達によって、国王陛下や主だった貴族が捕えられました!」
マリアーナのすぐ横にいた隣国から来ている侍女が、彼に落ち着いた声で問いかけた。
「なぜそのような事態に?」
「まだ何も分かりません! 御前会議の最中だったとかで。とにかくあっという間の出来事だったと。とにかく、殿下を安全な場所へ」
「当然そうすべきですな。ここは立ち寄り先として報告済みだ。早く見つからない場所に……」
それまで黙って周囲の人々の話を聞いていたマリアーナは一歩踏み出した。すると彼らは何かを感じ取ったのか黙ってこちらを向く。
マリアーナは少しも慌てていなかった。この革命が起こるのを、三年前から知っていたからだ。
マリアーナは一度この先の生を少しの間生き、そして死んだ。その記憶がよみがえったのが三年前だった。
それからというもの、どうしたら以前辿った運命に逆い、殺されずに済むのかを考え続けてきた。
「私はこの場に留まります。お父様が囚われているというのに、私だけが逃げ出すことはできません」
「……殿下……。だからこそです。国王陛下は……大変不敬な発言をお許しいただきたいが、もう命を奪われておられるかもしれません」
「王宮におられるご家族も同様です。殿下お一人でも逃げ延びなければ、王家は断絶いたしますぞ」
必死な形相の彼らには悪いと思いつつ、事情を説明するわけにはいかない。
マリアーナはただ首を横に振った。
マリアーナは、あの記憶にある自分が死ぬ前の状況を考え抜いて、ここからは逃げないと決めた。
以前の生では護衛たちの勧めに従って彼らと共に家族を置いて一人で逃げた。しかし捕まった。
マリアーナが死んだ時、まだ家族は全員生きているようだった。
でも、その後、妹が簒奪者の新たな花嫁として牢から連れ出されたはずだ。自分を殺した者たちがそう言っていた。
マリアーナが動かないと知ると、護衛たちは互いに顔を見合わせだした。そして、頷き合うと、こちらを必死な形相で見つめ、「逃げるべきだ」と説得を試みてくる。
気持ちは分かるけれど、それが成功しないのをマリアーナは知っている。
「逃げたいのなら、あなた方だけで逃げて構わないわ」
「くそっ! あんたがいなけりゃ、褒美は出ないだろうよ」
「え……?」
彼らの形相は完全に変わっていた。敵意すら感じるのは気のせいだろうか。
その様子にたじろいでいると、彼らはマリアーナの腕をつかみ、馬車に押し込もうとしてきた。
助けを求めて侍女を見る。けれど、彼女は護衛の一人と何やら話し込んでいて、こちらを見てもいない。
その時、彼らの国の言葉が耳をかすめた。
『予定より早いわ』
『急がなければ……』
あの二人は輿入れ予定だった隣国のべランク王国から来た者たちだ。
彼らは何としても本来の主人の元に、婚約者であるマリアーナを連れて行こうとするはずだ。あの記憶の中では、彼らの先導で隠れ場所を何度も変えた。
しかし、今二人が話していた『予定』とは何のことだろうか。
死ぬ前の記憶にある状況との明らかな違いを感じ取ったマリアーナは、考える間もなく、足首に手をやった。
そこに縛り付けてある短剣の持ち手を握り、次の瞬間には、それを目の前で振る。
それは何度も何度も繰り返し練習した動きだった。
それを取り出す瞬間、短剣の存在を知っている侍女が「武器を隠し持っているわ!」と叫んだけれど、それはマリアーナの動きの素早さの前では無意味だった。
護衛たちから間合いを取るために、大きく自分の周りに円を描くように短剣を動かす。
「近づかないで!」
マリアーナが叫ぶと護衛たちの顔が忌々しげに歪む。
「くそっ、何であんなものを!」
「傷はつけないで! 殿下! そのような危ないものは下ろしてくださいませ」
マリアーナは彼らと行動を共にするつもりはない。あの恐ろしい記憶から、自分がこの国から逃げ切る前に捕まってしまうのは分かっている。
それに、何よりも、革命に成功しつつある人たちに抵抗の意志はないのだと示せなくなってしまう。家族を助けるためには、マリアーナは新たに国王となる将軍に刃向かうわけにはいかないのだ。
侍女たちが先ほどべランク語で話していた内容が気になってはいたものの、それは頭の隅に追いやった。今はそれどころではない。
マリアーナは周囲を取り囲む、剣を抜いた護衛たちを睨みつけた。
彼らから逃げ出せるほどの抵抗はできない。長剣を持つ相手に立ち向かえるような技は持っていない。
できるのは、近づいてこようとする者がいたら短剣を振って見せることくらいだ。それでも、彼らは一歩下がってくれる。
動き続けながら、マリアーナは先ほどの彼らの会話を思い出した。彼らはマリアーナを生かしたまま捕らえたいはずだ。そうでなければ、とっくに殺されている。
そんな攻防を何度も繰り返していたけれど、やはり多勢に無勢だった。
短剣を持つ腕を、後ろから剣の鞘で叩かれて、あっけなく短剣を落としてしまう。悔しいけれど接近状態での護身術しか習っていないのだから、これが限界だった。
マリアーナは両手を取られて、それを後ろに回された。そしてザラザラとした感触が手首に巻きつく。
「放しなさい!」
「うるさい! あんたは黙って、これに乗ってりゃいいんだ!」
もう護衛をするつもりはなさそうな兵士たちに、馬車の扉に押しつけられると、侍女にハンカチを嚙まされて後ろで縛られる。もう、くぐもった声しか出ない。
「王女様。なぜそんなわがままをおっしゃるのですか? あなた様は我がベランク王国のものです。そう決まっているではありませんか」
小さいとは言えない違和感が脳内をチクチクと刺激する。
彼らが先ほど言っていた褒美とは何だろうか。「計画」とは何だろうか。
死ぬ前の記憶には、こんな場面はなかった。
あの時のマリアーナは、突然身に降りかかった危機に混乱するばかりで、彼らの言う通り、隣国に向かおうとしていた。
あの時は、彼らの思い通りになっていたから、このような状況にならなかったのだろうか。
「早く運び込め!」
「とにかく、例の隠れ家に……」
マリアーナの上半身は馬車の床に押し付けられ、太ももを誰かに蹴られた。身をよじって抵抗を続けるけれど、もうほとんど馬車の中に押し込まれている。悔しさと痛さに涙がにじんだ。
その時だった。馬の蹄の音が近づいてくる。
誰でもいいから助けて欲しかった。でも、きっと通り過ぎられてしまうと思った。
しかし、その音はどんどん近づいてきて、よく通る男性の掛け声と大勢の靴音が響き、マリアーナを押さえつけている男の手が緩んだ。
マリアーナには馬車の床しか見えなかった。でも、剣を打ち合う音や、あの侍女が抵抗する声が聞こえる。
やがて辺りは落ち着いたようだった。念のため、動かずにじっとしていたマリアーナは、先ほどの男たちにされたよりは丁寧な手つきで腕をつかまれ、そして胴体にまわった力強い腕に抱き上げられた。
薄暗い馬車の中から突然光の中に引き出されて、そのまぶしさに目を閉じていると口の中にあったハンカチがはずされる。
マリアーナは横抱きにされているのに気づいて、不審に思いながら恐る恐る目を開いた。そして驚愕した。
そこにいたのは彼だった。あの記憶の中でマリアーナを犯し、国を乗っ取った男だ。
その濃い茶色の瞳と目が合って思わず目をしばたくと、その精悍な顔が不敵な笑顔になる。
マリアーナは負けまいと表情をとりつくろった。
「見つけましたよ、殿下」
「カンナス将軍。あなたが、なぜここに?」
「……たった今、お助けしたように思いますが」
「あなたが私を助ける? お父様は? 皆は? 乱暴なことはしていない?」
「……王宮で何が起こっているのか、ご存じで?」
マリアーナは「しまった」と思った。御前会議が革命軍を名乗る者たちに襲撃されたとは聞いたけれど、この人が関わっているとは聞いていない。
あの、今も現実として思い出される記憶から、彼が簒奪者だと知っているだけだ。
彼はマリアーナの腕に添えていた手に力を込めた。沈黙は許されないのだろう。
口先だけでやり過ごすしかないと、マリアーナは覚悟を決めた。
「そこまで詳しくは聞いていないわ。お父様たちが捕えられたという他は。でも、こんな大それたことをするような人は、あなたしか思いつかなかったの」
彼はにやりと笑うと、ようやくマリアーナを地面に下ろした。
すると、彼の大きな体で遮られていた視界が開ける。見えたのは、マリアーナを連れ去ろうとしていた侍女や護衛たちが縄で繋がれ、連れて行かれるところだった。
それと同時に、いつの間にか背後にいた兵士が、腕を戒めていた縄を外してくれた。
「あの者たちは、殿下を我らから逃がそうとしたのでは?」
彼は地面に落ちていた短剣を拾った。先ほどマリアーナが落としたものだ。
彼は懐から取り出した布をその短剣に巻きつけて、腰のベルトに挟んだ。
その短剣は彼にもらった。
運命を変えようとして護身術を習った時に、その教師となったのが彼で、ある時に短剣をくれたのだ。
だから、彼はそれがマリアーナのものだと知っている。
「ええ。とても強引に。でも私は逃げないわ」
「……ご自身がどのような立場かお分かりか」
「それは、あなたに教えていただきたいわ。処刑でもされるのかしら」
「まさか」
彼はマリアーナの腕を持ち上げて引き寄せた。そして、言われなくても身をもって知っている言葉を口にした。
「あなたには王妃になっていただく。国王となる私の妻に」
マリアーナは心臓が早鐘を打つのを落ち着かせるように、何度か鼻から息を吸った。そして、余計なことを口走らないように、ぎゅっと口元を引き結ぶ。
そうして呼吸を落ち着けてから、視線を上げた。彼は穏やかだけれども、関心の無さそうな顔でマリアーナを見下ろしていた。
つづく……




