11.侍女長と、突きつけられた現実
アルベルトが手紙に書いてくれた通り、マリアーナの身支度が済んだところで新しい侍女長が部屋に挨拶に来た。
彼女はヘンナと名乗った。中年の、おそらくマリアーナの母と同年代の女性だ。しっかりと背筋を伸ばし、見事に表情を消している。
「私が侍女らのまとめ役に任じられました。何か不手際がございましたら、お申し付けください」
「分かったわ。あなたはどこかのお屋敷で長くお勤めだったのかしら」
「……以前、お亡くなりになった王太后殿下の元でお仕えしておりました」
「まあ……!」
この国で最後に王太后と呼ばれたのは、前国王である父親の母だ。マリアーナからすれば祖母にあたる。幼い頃に亡くなったので、祖母の顔は肖像画でしか知らなかった。
でも、そう聞くだけでヘンナに親しみを覚えた。
侍女たちの動きが昨日よりもずっと段取りがよかったのも納得だ。祖母は作法に厳しい方だったと聞いた記憶がある。
マリアーナはヘンナと、その指示のもとにきびきびと動くようになった侍女たちに世話をされながら、食事を終えた。
マリアーナはヘンナが来てくれてよかったと思ったし、祖母の話も聞いてみたかった。
侍女らが下がる時にヘンナに少し話がしたいと言うと、彼女は一人部屋に残った。腰掛けて欲しいと声をかけても、頑なにテーブルにつかない。
でも、それは不快ではなかった。祖母がいた頃の王宮では、それが当然だったのだろう。
マリアーナは侍女たちとは、もう少し気楽に接していたけれど、そういえば母に注意されたこともあった。
「この縁はお祖母様が繋いでくださったかのようだわ。あなたは、試験とかいうものを受けたの?」
「いいえ。直接お話しをいただきまして」
アルベルトに命じられた人は、かつて王宮で侍女として働いたことがある彼女を、わざわざ探し出してくれたらしい。
「さっそく、指示を出してくれたのね。快適だわ」
「ありがたいお言葉でございます」
完璧な角度でヘンナはお辞儀をした。さすがは王太后の侍女を務めた人だと感心していると、彼女は静かに口を開いた。
「実は、お生まれになったばかりの王妃様を部屋の隅から見ておりました。それが、つい昨日のことのように思い出されます」
「まあ……。お祖母様と一緒に?」
「はい。前王妃様のお部屋にも何度もお邪魔いたしました」
マリアーナの心は浮き立った。そして、その浮かれた気持ちのまま何気なく言った。
「ヘンナ。ぜひ、お祖母様のお話を聞きたいわ。私が幼い頃に亡くなられたから」
ヘンナは少しの間黙っていた。思い出を噛み締めているのかと思った。
でも違った。
「お話できることはございません」
そう言って彼女は床を見つめ、表情は動かない。
でも、彼女が放つ雰囲気が変わったのがはっきりと分かった。胸がザワザワと嫌な音を立てるけれど、聞かずにはいられなかった。
「……それはなぜか、理由を聞いてもいいかしら」
「私は王妃様が二歳におなりになられた頃に解雇されました。お茶をこぼしたからです。他の侍女の嫌がらせによるものでしたが、それをご存知の王太后殿下は、その者たちに味方しました。そちらの家の方が家格が高かったのです。ですから、私には王妃様にお話しすべきことがないのです。おそらく、王太后殿下にまつわる心温まるような話をお聞きになりたいと存じますので」
マリアーナは言葉を失った。
彼女は視線を床からマリアーナに移動させて、あの無表情のまま続ける。
「ただ、あえて一つ申し上げるとしたら、王太后殿下は大変に傲慢な方でした。王妃様におかれましては、どうかそのような振る舞いはなさいませんように」
そう言った彼女はまた深々と腰を折ってから、視線を床に向けていた。
その様子は罵倒を浴びるのを覚悟しているようでもあり、こちらを侮っているようでもあった。
でも、マリアーナは彼女を責めようとは思わなかった。
マリアーナが今、アルベルトを国王と仰ぐ平民や下級貴族たちに不快感を与える態度をとれば、大変なことになるのかもしれない。
生活が落ち着きを見せていたので気が抜けていた。
あの記憶の中で無惨に殺された、あの出来事が、どのような理由で起こったのかマリアーナには分からない。もしそれが、自分の態度が原因で起こったのだとしたら……。
「……私は、今日、傲慢な態度をとっていたかしら……?」
マリアーナは震えてしまう声で聞いた。
何もないことを願っていたけれど、「洗面器を持ってくる順番を食事の前に統一して欲しい」と先日侍女たちに言ったのを彼女は知っていて、それを指摘された。
「私どもは井戸からくんだ水をそのままでは王妃様にお出し致しません。湯を沸かし、それを冷まして適温にしてからお持ちしています。この王宮では以前はそれが難なくできました。人手が足りていたからです。しかし、私が先ほど現状を把握して回りましたところ、とにかくどこでも人手不足なのです。ですから、遅れてしまう場合もあったということです。そういった事情をご理解いただけますと幸いです」
マリアーナは愕然とした。そんな手間のかかることとは思っていなかったのだ。
物心がついた頃から、洗面用の少し温かい水は当然のように運ばれてきた。誰がどんな手順でそれを用意していたかなんて、考えもしなかった。
「それは……知らなくて……」
「もちろん、ご存知なくていいように振る舞うのが私どもの務めでございますから、それでよかったのです。これまでは」
「これまでは……」
彼女はほんの少しだけ顔を持ち上げた。でも視線は合わない。
「以前は、王家は国の要と皆が考えておりましたから、それでよかったのです。しかし、近年では王家に対する反感も高まっておりました。大貴族だけを優遇し、贅沢三昧をしていると、皆が知るようになったのです」
彼女は街の中で新聞と呼ばれる印刷物が出回り始めているのだと言った。印刷技術が発展して、普通の平民が手にできる値段で新聞が売られているのだと言う。
地方の干ばつには無関心なのに、贅を尽くした宴席を毎日のように催している大貴族や王族の様子が描かれることもあったと彼女は言った。
それに好意的な者はいない。ほとんどの平民は、仕事をしていても、その日の食事を満足に食べるだけで精一杯だからだそうだ。
マリアーナはそんなものがあるなんて、ほんの少しも知らなかった。
それはそうだろう。誰が、まさにその王族の一員である自分にそんなことを知らせるだろうか。
彼女は続けた。
「ですから、今の国王陛下が王位に着く時に、庶民や下級貴族はそれを歓迎したのです。そして、この短い間にも平民からの官吏の登用が行われ始め、王都の周辺ではますます旧王家への反感と現国王陛下への支持が高まっております。どうか、今後の王家の評判を落とされるような言動は慎まれますように」
そう言われたマリアーナは小さく頷くことしかできない。無知でいた時には自分が正しいのだと思えた。でも己の傲慢さを知ってしまえば、黙り込むしかない。
「私は王宮内の生活全般を改めさせますが、それは旧王家のやり方に戻すという意味ではございません。先々を考えて浪費の類は控えさせます。現在は各所で人手不足です。場合によっては、王妃様のご要望も後回しにせざるを得ないとご理解いただければと思います。なお、これらの改革は国王陛下のご命令でございます」
マリアーナは椅子から立ち上がることも言い返すこともできず、「下がっていいわ」と力を振り絞って言った。
彼女が部屋を出て行った後、護衛が呼びに来るまで、マリアーナはそこから一歩も動けなかった。




