リンスの改良
ソルテールとアデルの話し合いは、親族会議の決定から少しズレた所に着地した様です。アデルのおじ様親衛隊が、アデルの見えない所で奔走する様です。
神殿から王宮に戻るエレベーター(神殿通路の神具)の中で、お父様から昼食後に打ち合わせをすると言われた私は、ひとまず自室に戻って、参拝用のドレスから普段着に着替えた。
「姫様、神殿での六つ柱の大神への御礼参りが無事に終わり、安堵いたしました。改めて全属性のご加護を賜った事にお慶びを申し上げます」
メアリがそう言いながら、私の髪を一度解いて緩めのハーフアップに結い直してくれる。
取り敢えず来年の2の月まで神殿に行く事は無いので、メアリの終わり発言にも当たり障りの無い返事をする。
「ありがとう、メアリ。六つ柱の大神に、ちゃんと全属性のご加護を賜った御礼が出来て、本当に良かったと思っているの。皆も協力してくれてありがとう」
「とんでもございません。労いの言葉をありがとう存じます」
側仕え達を見回しながらお礼を言うと、皆、片付けの手を止めて、嬉しそうに礼を返してくれた。
今日のソルテール様との面談は今までになく長時間だったので、朝早くから支度して出かけたのにも関わらず、自室に戻ったのは6刻(正午)が近かった。その為一休みする暇もなく、昼食のために一階の食堂に向かう事になった。
今日の昼食には、お父様の実弟であるゴディエル公爵、つまりグラーチェおじ様が同席している。
和やかに食事をした後は、歓談のために居間に移動して、食後のデザートとお茶をいただく。
しばらくはお父様とグラーチェおじ様の兄弟ならではの雑談を聞いていたのだが少しの間、口をつぐんだグラーチェおじ様が徐に相談があると言い出した。
「兄上、少し込み入った相談があるのですが、今、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
グラーチェおじ様の改まった様子に動じる事もなくお父様が応じる。
「うむ、人払いが必要か?」
「できれば、盗聴防止の魔法を使用させていただきたいのですが構いませんか? それと義姉上にも聞いていただきたいですし、ディー、シル、姫ちゃんにも知っておいて欲しいので、聞いていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わない。皆、グラーチェが盗聴防止の魔法を展開したら魔法の範囲から出てくれ」
グラーチェおじ様が盗聴防止の魔法を展開するとそれぞれの側近達は魔法の範囲から出て、室内の見える所で控えている。
周囲を確認したグラーチェおじ様は、いかにも相談内容を話すといった風情で、お父様に向かって話し始める。
「兄上、これで良かったですか?」
「ああ、ありがとう、グラーチェ。手間を取らせてすまんな。さて、今日の神殿での事を皆で話しておかねばならなかったのでな。周りに気取られぬ様にグラーチェに一芝居してもらったのだ」
お父様は、顔をグラーチェおじ様に向けたまま、私達に向けて話し出した。
あ、なるほど!
お父様とグラーチェおじ様は、事前に打ち合わせしてたのね。
今までは想定外な事ばかりで、会議室に直行してたしねぇ。
急に決めたのかな?
「相談している様に見せかける為、グラーチェが話を進める。グラーチェ、頼む」
「はい、兄上。まずは、対外的な理由付けですね」
お父様がグラーチェおじ様の言葉に頷く。お父様とグラーチェおじ様は、話し始めてからずっとお互いの顔を見ていて、二人で話し合っている様に見せている。
周囲の側近達は、お父様達兄弟で話し合っていて、お母様と私達兄妹は見守って話を聞いていると思っているだろう。
これに何の意味があるのかは、私にはいまいち解らない。
きっとお父様にはこの形で話す意味があるのだろう。
「実は、親族会議で決まった姫ちゃんが『神殿参拝を継続する対外的な理由』が、実態に合わなくなりました」
ん? どゆこと?
「本来、神の代弁者である国王の月一回の神殿参拝は、神から力を授かった初代王に引き続き、2代目以降の国王が六つ柱の大神から国への加護を賜る為に、約束の祈りと尊びを奉納する為に参拝している、と対外的な告知をしています」
だよね。
本当の事は、六つ柱の大神との契約で言えないもんね。
「それを直系の王族とは言え姫ちゃんだけが国王と共に神殿参拝を行うとなると、他の王族の立場が軽んじられる事に繋がってしまうのではないかと懸念されます。それならばいっその事、『王家全員で神殿参拝を行い、国家の安寧を祈願する』と告知する方が良いと意見がまとまっていました。そうでしたね、兄上」
「そうだ。しかし、今日のアデルとソルテール様の取り決めによって、神殿参拝の再開が来年の2の月からになってしまい、一年近く間が空く事になった」
間が空く事で何の不都合があるんだろ?
しっかし、実態と対外的な告知の差がすごいねぇ。
ここでも神話が活躍する訳だぁ。
「元々、国王だけが行なっていた月一回の神事を王家全員で取り組む事にしたのには、もう一つ理由があります。今までの姫ちゃんの神殿参拝を思い返してみると、絶対に、義姉上、ディー、シルが同行する事を主張するだろう、と予測されます。判っているのなら初めから組み込んだ方が騒ぎにならずに済むだろう、というのが親族一同の見解で、その理由になります」
そうなの?
「あら、まぁ…。おほほほ」
「当然です」
お母様を見ると、何故バレたのかしら? と言う感じで笑って誤魔化そうとしているし、ディー兄様は真剣な顔をして、当然です、なんて言ってるし、シル兄様に至っては、よく判ってますね、と言わんばかりに微笑んでいる。
その方が楽だから、全員参加で良いんじゃね?
だって、みんな一緒に居れば、報告の必要が無くなるじゃん!
「そこでだ。先程兄上が言った一年近く間が空くという件なのだけど、姫ちゃんはどうしたいのかな?」
何が?
いや、行かなくて良いなら行かないでしょう。
てか、私が望んだ事だけど?
「わたくしは自分の勉強を進めたいと存じます。リンスの研究もありますし、神殿には来年の2の月まで参りませんよ?」
「そういう事ならやはり先程兄上と話したとおり、根回しに時間をかけた方が良いですね」
「そうだな。急ぐ必要が無くなって却って助かる。その辺りは再度、親族会議で協議しよう。皆は詳細が決まるまで、誰にも、ああ、もちろん側近にも公表しないで欲しい。後日…、そうだな。ある程度の根回しが済んでから、と考えると今年中には結論を出せるだろうから、その時に皆にも知らせる事にしよう」
メアリに言わなくて良かったぁ。
側近に秘密があるのは心苦しいけど、皆を守る為に必要な事だもの。
私がしっかりしなくちゃね。
「皆、協力を頼むぞ」
「かしこまりました」
「「はい」」
話に一区切りがついたところで、グラーチェおじ様が、顔を私に向けて確認してきた。
「あ、そうだ。姫ちゃんは鑑定魔法を使った時に魔力を消費しているはずだけど、本当に何とも無かったのかい?」
「いいえ、特に何も感じませんでした」
そう言えば、魔法陣に魔力を吸い取られる時とは違うのかなぁ。
魔法陣の時も魔力が動くのは判ったけど、減る感じが分かんなかったんだよね。
「ふーん、消費魔力が少ないのかな。ならば、禁止にはしないけど出来るだけ使うのは控えてね。ソルテール様も他者に知られない様に無詠唱にしてくださったのだから、姫ちゃんが鑑定魔法が使える事は秘密にした方が良いね」
「わかりました。あの…グラーチェおじ様は、鑑定魔法が使えるのですか?」
「うーん、対象によるかな。無詠唱で出来る人は公にしないだろうから不確かではあるけれど、少なくとも魔法師団には私を含めて4人しか出来る人はいないよ」
出来るのに内緒にする?
何でだろう……あっ!
人の鑑定だ!
勝手に見られんの、怖っ。
「グラーチェおじ様、鑑定って人にも出来るのでしょうか?」
「私は出来ないよ。たぶん、出来るとしたら姫ちゃんだけだと思うよ」
あー、私のはソルテール様から賜ったからだね。
たぶん、普通の魔法じゃないんだ。
「姫ちゃん、それについてはまた今度、私と一緒に検証しよう」
私の顔色を読んだのか、グラーチェおじ様がそう提案すると、お父様がすかさず賛成した。
「アデル、そうさせてもらいなさい。グラーチェならば安心して相談できる。それより今は、定義の件だ」
おっ、グラーチェおじ様と検証かぁ。
うん、それはいいね。
定義ってあれだね。
私の前世の知識の過度な流布の定義だね。
うん、それに関しては私の意見は決まっている。
「アデルはどう思った?」
「神界に連れて行かれるのは嫌なので、六つ柱の大神に言われた事しかしません」
お父様が私の言葉を聞いて破顔一笑する。
「ああ、それが良いね」
「姫ちゃん、そうは言ってもいられない時が来るかもしれない。そんな時は必ず、兄上か義姉上に相談するんだよ。皆、姫ちゃんを失いたくないと思っているから必ず協力するよ。報告・連絡・相談を必ず守ってね」
「はい。分かりました」
ソルテール様に会った日の翌日から、ソルテール様に頼まれた(気持ちの上では押し付けられた)リンスの改良について考えている。そもそもあれは、遠く離れた違う大陸にあるガイスト聖国で産まれた物だ。我がトールトスディス王国に必要な物なのかが判らずに、国内の、特に平民層の現状を知るにはどうすれば良いのかを悩んでいる。
何しろ、私は簡単に城から出ることができない。
ん?
本当に出来ないのかな?
「ねえ、メアリ」
「はい、何でございましょうか、姫様」
「もし仮によ、私が城から外に出て民と話をしたい、と言ったら出来るものなのかしら?」
メアリが呆れた顔になって答える。
「姫様、何か考え込んでいらっしゃると思えばその様な…。その様にお尋ねになるという事は、難しいと判っておいでなのでございましょう?」
「やっぱり難しいわよね」
「左様でございますね」
スパッと難しいと肯定したメアリが、少し考えた後、慎重に、言葉を選ぶように話し出した。
「目的によると存じますが…。例えば、王妃殿下は、定期的に王家が庇護している孤児院を慰問されております」
うん、それ知ってる。
「王太子殿下は、王家が運営するプレープスコラの卒業式に国王陛下の名代として出席されました。第二王子殿下は、先の大災害の折、被災者が収容された治療院を慰問されております」
へー、お兄様方はそんな事してたんだぁ。
「このように公務であれば、城外に出て民と接する事は可能でございます」
公務かぁ。
やっと洗礼を終えたばかりの私に、公務があるとは思えないなぁ。
何かお役がいただけるとしても、城外に出るとは限らないしなぁ。
うーんと唸りながら腕を組んで考え込んでいると、側仕え達が微笑ましそうに私を見ている。ついにはメアリが心配そうに私に尋ねる。
「姫様は何をなさりたいのでしょうか? それは私達がお手伝いできない事なのでございましょうか?」
ふと気が付くと、メアリだけでなく、側仕え全員が私を心配そうに見ている。
あれ? さっきまで微笑んでたよね?
んー、だよね。
デアフォルフォンスでの出来事を考えると、私を外に出したくないよね。
私は正直に、メアリを始めとする側仕え達に話を聞いてもらう事にした。
「私は民の暮らしというものを全く知らないでしょう?それに気付いたらいろんな事が知りたくなったの」
「民の暮らしでございますか?」
「そう、例えば、石けんね。私に使ってくれる石けんは、王家お抱えの職人が調合して作ってくれるのでしょう?」
「はい、左様でございます」
「じゃあ、メアリのオーレンフロス侯爵家にはお抱えの職人がいるの?」
「いいえ、ほとんどの貴族は専門店の石けんを購入いたします」
「じゃあ、民は? 専門店で買える裕福な民もいれば、貧しい民もいるはず。貧富で差があるの? 近くにお店が無い人はどうするの? こういう事を実際に見たり聞いたりしたいなぁって思ったの。ふふっ、単純な事なんだけどなぁ」
「姫様は石けんの事がお知りになりたいのでございますか?」
「そうじゃないのよ、クラリス。石けんだけではなくて、暮らしの中で私が使っている物と民が使う物はどう違うのかしらと思っているの」
私の言葉を聞いたイザベルが何か思い付いた様にパッと明るい顔になって言う。
「姫様は身の周りの物について、民がどのような物を使っているのかお知りになりたいのでございますね」
「そう、そうなの。もちろん貴女達が知っているのであれば、わざわざ外に行かなくても教えてもらえると思うけれども…。でも私の側近はみんな貴族だから、聞いても分からないだろうとも思っているのよ」
私の側近は皆、身元がしっかりしているし、貧乏な家庭は無いはずだから、貧乏暮らしの工夫といった事には縁のない人ばかりなのだ。
メアリは夫と王宮で共働きしてるし、オリビアの夫は財務局次長で、マルティナの夫は外務局次長、イザベルの父親は近衛騎士で、新人のクラリスはオリビアの娘だもの。皆、仕事をしているけど裕福な貴族であり、貴族の暮らししか知らない。つまり、私と似たり寄ったりだと思うのよね。
「姫様が平民の事をお知りになりたいのであれば、まずは、城で働く下働きの者に御下問なさるのも一つの手段かと存じます」
「メアリ、そんな事できるの? 私の視界に下働きの姿が入った事は無いのだけれど…。」
「下働きの姿が姫様のお目に触れないのは当然の事でございます。姫様の身の周りのお世話は、私達側仕えの仕事でございますから。しかし、私達の仕事が下働きの者達に支えられている事も事実でございますよ」
私が見た事があるのは側近と王宮の侍女・侍従くらいのものだ。
たぶん、掃除や洗濯などの仕事をする人の事を下働きと呼ぶのだと
想像しているのだけど当たってるかな?
どんな身分の人がいるんだろ?
「では勉強の一環として、姫様が下働きの者に民の暮らしについて御下問なさる場を設けたいという事を、王妃殿下にご相談申し上げましょうか?」
そうだった!
王宮の人事はお母様の管轄だった。
私が直接、聞きに行くのはダメなのね。
一階の使用人休憩室に突撃しようと思ったんだけど…。
側近をゾロゾロと連れてウロウロするのは迷惑だよねぇ。
「そうですね。メアリの言うとおりにお願いしても良いかしら?」
「かしこまりました」
やったね。
思いがけず、側仕えと話した事で突破口が開けたよ。
やっぱり何でも相談してみるものだねぇ。
私は、メアリがお母様と調整してくれるのを大人しく待つ事にしたのだった。
4の月に入ってから、新たに外国語の会話を習う事になった。マナー講師であるアリエルおば様が、社交で使える挨拶や会話を教えてくださるのだ。
アリエルおば様は独身の頃、今は王太后のお祖母様が王妃であった頃から、今の王妃であるお母様まで、王女として、王妃の右腕として、王族としての責務を見事に果たしてこられた。
当然、外交も含まれていて、母国語のヴェルヴァウス、アーリオス語、プリースティナ語、デセルタ語の四つの言語をマスターしているバイリンガルなのだ。
ちなみに、アーリオス語は大海を囲む6ケ国の公用語となっている。
プリースティナ語は大陸の南にあるイパイゼ王国の国語で、デセルタ語は同じく大陸の南側にある3ケ国で使われている言語だ。
今、私が学んでいるのは隣国ダスラン王国で使用されているアーリオス語だ。
これ必須でしょ!
近々の大きな外交課題が私の誘拐未遂なのだ。
これは力が入るでしょー!!
自分で交渉できるくらいにはなったるでー!
トールトスディス王国が建国される以前は、この地域でもアーリオス語が使われていたらしいが、神と会話するために独自の発展をしてヴェルヴァウスに変わっていったそうだ。
本当かなぁ。
逆にこっちの方が古いんじゃないの?
真偽の程は不明だが、アーリオス語の文法はヴェルヴァウスとほとんど同じで、ちょっとした言い回しが違うだけである。つまり、単語と特殊な言い回しさえ覚えれば楽勝と思われるのだ。
今は、あらゆる場面を想定しながら、アーリオス語と王女としての外交術を一緒に学んでいる感じだ。
そんな風に毎日充実した日々を過ごしていたら、メアリにお母様への相談をお願いした日から一週間ほど経ったある日、メアリからお母様のスケジュールの調整がついたと報告があった。
「メアリ、お母様のスケジュールが調整されたという事は、お母様が同席なさるという事なのかしら?」
「左様に承っております。姫様が御下問される下働きの選出も王妃殿下がなされたと伺っておりますよ。姫様、ご希望が叶いましてよろしゅうございましたね」
そだねー。
あー、使用人休憩室に突撃する前で、ホント、良かったぁー。
お母様にはリンス関連だとバレバレでしょうからねぇ。
ホント、メアリ、ありがと!
もー、今度からはお母様に最初に相談するわ、ふぅ〜。
下働きの話を聞く事ができる様です。
リンスの改良に良いヒントをもらえると良いのですが…。
次回は、定義の波紋です。




