その2 帰れない
「やめて、返して!」
必死で大声を上げ、彼らの方へ向かって駆け出した。財布を持った赤髪の少年と、隣りを走る黒髪の少年は、チラリとアリアの方を振り返ると耳障りな口笛を吹き、更に走るスピードを上げた。
「返してってば!」
周りにはたくさんの大人がいるが、誰も助けてくれる気配はない。こういったことは日常茶飯事なのだろうか。見慣れた光景であるかのように、皆そろって無関心だ。
焦りながらも、彼らの姿を見失わないよう、アリアは小さな体で一生懸命に追いかけた。実は彼女はこう見えて、それなりに足は速い方だ。追いつくことは難しいが、大きく引き離されることもない。少年たちはそれに気づき、何やら目を合わせて合図を送ると、不意に財布を持った少年がもう一人に向け、財布を押し付けるような仕草をした。そしてちょうど差し掛かった路地で、彼らは二手に分かれた。黒髪が右の路地へと曲がり、赤髪はそのまままっすぐに進む。
(あれ、今のって?)
ぱっと見た印象だと、赤髪が黒髪に財布を渡したように思うだろう。だがアリアは足が速いだけではなく、かなり目ざとい少女だった。おそらくこれはフェイクで、財布は依然として赤髪が持っている。
しかも、アリアが路地を曲がったと勝手に勘違いしたのだろう、赤髪はそこで露骨にスピードを落とした。後ろを追ってくる彼女の姿を、確かめもせずに。
(……舐めてくれて、ありがとう。助かっちゃう)
思わず唇の端に、小さな笑みが浮かんだ。
おそらく少年たちはアリアよりも二・三歳年上。本気で逃げられたら、敵わないかもしれない。でも一瞬油断してくれたおかげで――――伸ばした彼女の手は、赤髪の少年の腕に届いた。ひじの辺りの袖をぎゅっと掴み、力任せに後ろへ引っ張る。
「うわっ、あ、あぶねっ!」
「お財布、返して!あんたが持ってるの、分かってるんだから!」
アリアの剣幕に押されたのだろうか。少年は思わず、というように後ろに身体をのけぞらせた。思った通り、その手には小さな財布が握られたままだ。
だが、彼はふいに強気な目をすると、急にアリアに向かって食ってかかってきた。体制を整えると、指先で財布をつまんでプラプラ揺らしながら、
「なんだよ、これがおまえの財布だって?何か証拠でもあんの?」
「え……証拠って何よ。人から盗んでおいて、よくもそんなこと」
ようやくこの頃になって、周囲にちらほら人が集まり出した。皆、やや遠巻きに事の成り行きを見物している。そして、赤髪の少年の後ろからは、加勢するように二人が姿を現した。先ほどの黒髪の少年と、同じ年頃のこげ茶色の髪の少年だ。
相手が増え、そして雰囲気に気圧されて、一歩後ろに下がりそうになった。だがその時、先ほど確かめた財布の中身が画像になって脳裏に浮かんだ。……そうだ、証拠があるかと言うのならば。
「ララン国王在位十周年記念硬貨が一枚入ってるわ。純金貨幣よ、見ればすぐ分かる」
大きな瞳で三人の少年たちを睨み据えながら、一気にそう言い切った。赤髪と黒髪は意味が分からないとでも言うようにわざとらしく首を傾げていたが、面白そうにそれを見ていたこげ茶の髪の少年が「なるほど」と呟き、赤髪から財布を取り上げた。
「な、なにすんだよ!」
「いやぁ、こう言ってるんだから確かめた方が早いでしょ」
そしてあっという間に財布の中から金貨を探り当て、苦笑いしながら二人の前にそれをかざして見せた。
「キャティアもゼットも、これはちょっと言い逃れできないんじゃない?ほら、ちゃんとララン国王の顔と名前が刻印されてるしさ」
それを見て二人は肩を落とし、それぞれに大きくため息をついた。
「あのなぁディア、余計な事すんなよ。せっかくまとまった金が手に入りそうだったのに」
「俺だってうまくいきそうなら口出ししないよ。二人がヘマったんでしょ、この子の方が一枚上手だよ」
ディア、と呼ばれた少年はたしなめるようにそう言って、「はい」とアリアに財布を返してくれた。
「俺の友だちがごめんね。君も気を付けて、この辺りこういうの多いから。もう暗いし、早めに家に帰った方がいいよ」
財布が無事に手に戻り、ホッとして肩の力が抜けた。そして、優しく声をかけられたとたんに今までの勢いを失って、胸がぎゅっと苦しくなるのを覚えた。帰れるなら帰りたい。でももう、帰る場所なんてない。
この先、どうすればいいのか。走りながらずっと考えていたけれど、答えは出なかった。
「……あたし、もう家には帰れないの……」




