余白
本。
今ではボタン一つで。
お目当ての本が買える。
または探せる。
果ては読むことも。
耳で聞くことも出来る、
昔。
通信技術が発達していない頃。
本を探すのに。
大きな書店に行ったり。
東京でいえば。
神保町という古書街があって。
目当ての書物を探すのに。
本屋のはしごをしたという。
待ち合わせ。
今なら。
遅れるよという連絡。
着いたよという連絡。
昔。
待ち合わせの意味は同じでも。
連絡する手段は、家の電話か。
あるいは勤め先。
勤め先の職種によって。
サービス業なんかは。
社内にいることがない。
そんな環境で待ち合わせの確認の連絡さえ憚れる。
待ち合わせで。
数時間待つという人もいたようだ。
時間という概念自体に拘束されるつもりはなくても。
概念がある以上。
気にしないわけにはいかない。
昔は何かの目的のために消費する時間があって。
今はその分の時間が通信技術の進化のお陰でなくなった。
ある意味、効率的で合理的な生活様式になったのだろう。
何か調べたい時も。
片手で済む。
手紙や電話でなくても。
個人に連絡がつく。
男性が女性の家に電話をする。
逆もしかり。
かなりの勇気や葛藤があって。
限られた時間のなかで。
想いを交わし合ったという。
何かのために費やしていた時間は。
技術の進歩で有用に活用され始めた。
ところが。
削減された時間は、ゆっくり何かを味わうために使われるとは限らない。
むしろ、次の刺激を探すために消費されていく。
隙間時間なるものには。
何かのポイントを稼いだり。
動画を見たり。
音楽を聴いたり。
面白いのは。
時間は増えてるはずなのに。
コンテンツの類いが。
短くなっていくこと。
次から次へと。
束の間。
衝撃を残しては。
彼方へと流れゆく。
こうも考える。
何かを得るということは。
何かを失うことでもあるのではないか。
失ったものとは。
「何もない時間ではなく、その時間の中にあったものではないか」
本を探す時間。
待ち合わせ相手を待つ時間。
電話をかける前の葛藤。
連絡が来るまでの期待や不安。
そういう「何も起きていない時間」が、実は人の感情を育てていたのではないか。
「技術は新たな時間を生み出した。けれど、人間はその時間を『感情との対話』に使わなくなったのかもしれない」
書いていて。
なぜだろう。
情緒という言葉が浮かんできた。
そして現代は、その「何もない時間」まで埋められるようになった。
技術の躍進により。
私たちは、多くの時間を得たはず。
けれど。
その時間を埋めるために。
また新しい何かを探している。
得たものと。
失ったもの。
もしかすると。
私たちが失ったのは。
時間ではなく。
時間を持て余すという。
贅沢だったのかもしれない。
なんてね。
お読み下さりありがとうございます。
感謝しています。




